水問答について秀吉の重臣が連署して百姓に与えた折紙である。
升水之儀分而
河原林と申分之
事今度検使被
遣双方令対談
絵図仕来候上
被遂糺明候
処当郷申分
無紛候間如有
来鳴尾村料
水仕可申自今
以後不可有申
事者也、
長束大蔵
八月廿五日 正家(花押)
増田右衛門尉
長盛(花押)
徳善院
玄以(花押)
鳴尾村
百姓中(書き下し文)
摂州武庫郡鳴尾村北郷と申す升水の儀分けて、河原林と申す分のこと、今度検使遣わされ、双方対談せしめ、絵図仕来り候うえ、糺明を遂げられ候ところ、当郷申し分紛れなく候あいだありきたるごとく、鳴尾村料水つかまつり申すべし、自今以後申す事あるべからざるものなり、
(大意)
摂州武庫郡鳴尾村北郷という用水の件、瓦林村の者どもが分捕っているとのこと、このたび使者を派遣され、両村を話し合いの場につかせ、絵図面をこしらえたうえで、真相をはっきりさせた。鳴尾村の主張も明らかなので、従来通り、鳴尾村が用水を引くようにしなさい。今後言い争うことなどあってはならない。
文書の写真はこちら
鳴尾村と河原林=瓦林村の位置関係は以下の通り。
Google Mapsより作成
この両村はこの前年「水問答」で私闘に及んだらしく、13歳の子どもを含む83人が磔刑に処せられている(「多聞院日記」天正20年10月23日条)。