日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正13年閏8月18日小早川隆景宛羽柴秀吉朱印状

 

黒田基樹『羽柴を名乗った人々』(角川選書、2016年)26頁の「小早川隆景」にさりげなく「たかしげ」と振ってあるのを見て、遅まきながら「たかかげ」でないことを知った記念に、その隆景にあてた秀吉朱印状を読んでみたい。

 

 

(端裏)

「(墨引)」*1

 

去月*2六日書状、今日江州至坂本到来、令披見候、誠遼遠*3候之処、切々*4飛脚*5、悦入候、仍北国面儀、去十四日返書如申遣、越中・飛弾*6国共ニ平均申付、慥成物主*7相付、国之置目等相定、昨日十七、坂本迄納馬候、与州*8国中諸城被請取候哉、自然相滞儀候者、蜂須賀*9相談、此方へ可被申越候、国之置目等入念申付候条、可心易候、尚期来音*10候也、

   壬*11八月十八日*12(朱印)

      小早川左衛門佐殿*13

『秀吉文書集二』1573号、211頁
 
(書き下し文)
 
 
去る月六日の書状、今日江州坂本にいたり到来、披見せしめ候、まことに遼遠に候のところ、切々飛脚、悦び入り候、よって北国おもての儀、去る十四日返書申し遣わすごとく、越中・飛弾国ともに平均申し付け、たしかなる物主相付け、国の置目など相定め、昨日十七、坂本まで納馬候、与州国中諸城請け取られ候や、自然相滞る儀そうらわば、蜂須賀相談じ、この方へ申し越さるべく候、国の置目など入念申し付け候条、心易んずべく候、なお来音を期し候なり、
 
(大意)
 
去る8月6日付の書状、本日近江坂本に到着し拝読いたしました。まことに遠くからたびたび使者を遣わされ、喜んでおります。さて北陸の佐々成政攻めについては、14日付の返書に申しましたように、越中・飛騨両国ともに平らげ、たしかなる者に現地を任せました。国の決まりなども定め、昨17日坂本まで帰陣しました。伊予国中の城は無事お受け取りになったでしょうか。もし滞るようなことがあれば、蜂須賀正勝に相談し、こちらへお申し越しください。置目など入念に申し付けますのでご安心ください。またの機会にでも。
 

 

 Fig. 越中・飛騨両国位置

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                   『国史大辞典』「飛騨国」より作成

伊予国を小早川隆景に与えたあと、敵方の城を無事に受け取ったかどうかを案じた手紙で、朱印状ではあるが慇懃な文面である。もし何かあれば蜂須賀正勝を通じて秀吉に相談するようにとも記されている。 

 

*1:折り目に「〆」と書いて封印する

*2:8月

*3:リョウエン、はるかに遠いさま

*4:たびたび、心のこもった

*5:文字通り「速く走る者」、「手紙を運ぶ者」の意。ここでは使者

*6:

*7:モノヌシ。戦陣の部隊長の意で金森長近のこと。「武主」とも

*8:伊予国

*9:正勝

*10:ライイン。人が訪ねてくること、たより

*11:

*12:天正13年

*13:隆景、「左衛門佐」は左衛門府の次官(スケ)である「佐」の意