2018-01-01から1年間の記事一覧
坂田郡*1之内しやうほだい*2院村掟条々*3 一、千石につめ夫一人とあひさたむるなり、このほかつかふ事あらば、此ゐんはん*4ニて、いくたり*5いたし*6候へと、申つかわすへく候、然者奉行人を申付おくへき間、十二月廿日ニ当村の年中のいんばんの書物あつめあ…
一、作しきの儀にいたつてハ、此さき*1御けん地*2の時、けんち帳*3に書のり申ものゝさばきニ仕、人にとられ候事も、又むかし我かさくしきと候て、人之をとり申事もちやうし*4せしむる也、付給人に見せすかり取田ハ、免*5つかハし申ましき事、 右、九ヶ条如件…
(折紙)*1 以上 一筆令啓候 公方樣*2一段御機嫌 能被成御座候間可御 心易候然者*3今度 嶋原天草きりしたん 蜂起之儀*4今程者 相済可申候後跡 以下為御仕置*5 上使*6松平伊豆守*7并 戸田左門*8被差遣之候 万一人なと入候者各へ 可被申入候間其儀 -----------…
一、当村之百姓之内、さんぬる*1小田原御陣*2の後、ほうこう人・町人・しよく人に成よそへまいり候ハヽ、返し候へと御法度*3ニ候間、きゝたて*4きう人に可申候、たとひよのさとへまいり田を作り候共、もとのむらへめし返し可申候、又よそのむらの百姓罷越*5…
(折紙) 和泉殿*1不慮之仕合ニ而被相果*2不及是非候然者六左衛門*3指越候和泉殿ニ不相替馳走肝要候謹言七月廿五日*4 家康(花押) 上田清兵衛*5とのへ 鈴木次兵衛*6とのへ 同 久兵衛*7とのへ (書き下し文) 和泉殿不慮の仕合わせにてあい果てられ、是非に…
一、此村もし我等蔵入*1に成候ハヽ、まへかと*2より蔵入之むらへ遣し置き候法度書*3をもちい、これハほんご*4たるべき事、 (書き下し文) ひとつ、この村もしわれら蔵入になりそうらわば、前廉より蔵入の村へ遣わし置き候法度書を用い、これは反故たるべき…
(折紙) 於摂州豊嶋 郡内神田七百弐拾 八石令扶助訖 全可領知者也 天正十三 九月一日(秀吉花押) 水野藤十郎とのへ (書き下し文) 摂州豊嶋郡*1のうち神田*2において七百二十八石扶助せしめおわんぬ、まったく領知すべきものなり、 この日、水野勝成のほ…
一、何事ニよらす百姓めいわき*1の事候ハヽ、めやす*2ニてそうしや*3なしにそせう*4可申候、又所此申とてすちなき*5事を申たき*6まゝニ申候ハヽきうめい*7のうへけつく*8其身曲事たるへき間、かねてよく下ニてせんさく*9せしめ可申上事、 一、定夫の外ニも、…
一、出作之儀にいたつてハ*1、他郷よりあげ*2候儀も無用たるべし、又他郷のをあげ*3候儀も、たかいにちやうし*4の事、 (書き下し文) ひとつ、出作の儀に至っては、他郷より上げ候儀も無用たるべし、また他郷のを上げ候儀も、互いに停止のこと、 (大意) …
第1条とこの第4条を比較すると表記ゆれが見られるので、補足しておきたい。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com ふたたび引用する。 右用立たざるを引き、この三十軒としてつめ夫二人あいつめ申すべく候、この外かって出すべからす、この村へ他…
一、此村之田よのむら*1よりつくり候ハヽ、壱石ニ弐升の夫米取可申候、当郷よりよの村の田つくり候ハヽ、壱石に弐升ツ*2つかハすべし、又我等蔵入之田*3を当村より作り候ハヽ、壱石ニ壱升ツヽ遣し可申候、しぜん*4このむらへ入作*5おほく候て、夫米詰夫のざ…
一、此村定夫*1之事、今度家をつけ夫役仕候者書ぬき、如此つめ夫*2さだめ候、此外給人申しとて出し候ハヽ、百姓もくせ事、又きうの人*3もくせ事ニ候間、きゝ付次第百姓之儀ハ申におよハす、きう人其人により、それ/\にくせ事ニいたすへき事、 (書き下し文…
以下の記事の続きを読む。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 一、ねんぐのおさめやうの事、田からざるまへに田がしら*1にて見はからい、免*2の儀相さだむべし、若きう人・百性ねんちかい*3の田あらハ、升づきいたし免さため可申候、なを其うへ…
海部郡之内*1 大佐井村 横田村 掟一、当村之百姓隣郷と喧嘩口論并井論*2堺論*3一 切仕へからす、若他郷より非分之族於申懸 者代官ニ申聞、公儀之沙汰たるへき事、一、田畠不荒様ニ令耕作、永荒*4ニ至迄開作すへ し、年貢等万相定所すこしも相違有へから さる…
納宇津領内*1年貢米之事*2 参石者 黒田*3 合 両所分并 壱斗五升者夫米也 瀬龍*4 右、攸*5請取如件、 (花押)*6(黒印) 天正九年十二月四日 (書き下し文) 納宇津領内年貢米納めのこと、 合わせて参石は黒田・瀬龍両所分ならびに、一斗五升は夫米なり、 右…
(追筆)*1 「端書無之、」*2 当在所*3之事、去年任(闕字)仰出旨*4、土居構*5崩之、国次*6准*7土民由、尤神妙候、其段弥於無相違者、重而違乱族不可有之候、陣取等堅可令停止、宗及*8別而断*9之儀候之条、自今以後、不可有疎意*10候、猶(数字破損)藤田伝…
またずいぶんふざけた記事を書いたものだ。 www.nishinippon.co.jp 要点をいくつか挙げておこう。 1.「逆説」の魅力は、歴史を別の角度から見ることによって「通説」とは異なる事実をあぶり出す(ところにある) 2.歴史研究の多くが、現代人の価値観によって…
以下の記事を読んで、むかしきわめて危険な言葉を連呼した経験を思い出した。 gendai.ismedia.jp ザルツブルクのある博物館で、読めるわけでもないのに写真集が欲しくてガイドブックを求めるため、入り口の壮健な50代くらいと思しき男性に、その表紙に書かれ…
前回の記事で写真が得られなかった領知宛行状を読んでみる。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com headlines.yahoo.co.jp (折紙) 千石事令扶助 之訖永可有領知 者也仍如件 出羽守*1 慶長八卯 四月十一日 義光(花押) 平清水下野殿 (書き下し…
www.sankei.com yamagata-np.jp www.kahoku.co.jp https://www.sankei.com/life/photos/180705/lif1807050024-p1.html (竪紙) 其家相承候足利佐久間 之両系図并感状等是を あつかり候事尤可令 返却もの也 慶長十七年八月十五日 義光(花押) 平清水*1下野…
前回の記事を書くにいたったのは、あるポータルサイトを「立ち上げてしまった」ときに、たまたまトップに上がっていたことで視界に入ってしまったことによる。 もちろん読まなければよかったのだが、「史料が…云々」とあるのが気になり、開いてしまった。 そ…
賤ヶ岳の戦いで、前田利家が柴田勝家を見限り、羽柴秀吉に与することになった事情を説明する史料がない理由を「考察」しているものを見つけた。 shuchi.php.co.jp 「最高学府」の誤用をはじめ、史料の書き手が「作家」とでもいいたげな文面は読んでいるこち…
前々回、紹介した高木昭作論文*1に関する反応を見ておきたい。 doi.org 佐々木潤之介氏は次のように述べている。 高木は、一般に身分法令とされる天正十九年の秀吉の定三ヶ条の中の、「侍」は「武士」でないとし、この限りではこれまで、少なからぬ人たちが…
前回の記事で藤井讓治氏の、豊臣期固有の身分としての「奉公人」とする見解を紹介した。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com その論拠が「人掃令」として知られる法令である。ただし、年代比定は天正19年ではなく、同20年とする立場をとられてい…
1980年代、いわゆる「身分法令」中の「奉公人、侍・中間・小者・あらし子にいたるまで」の「侍」を武士と解釈すべきでないと、高木昭作氏が指摘された*1。 高木氏の解釈はすぐに定着し、武家奉公人研究の深化をうながす契機となった。 たとえば磯田道史氏は…
尚以、和久左息井上介*1・肥前入道*2取逃候、其山中*3 より外、別ニ可行方無之候、随分念を入、可被尋 出候、以上、 和久左衛門大夫*4城破却之儀、去年申付候処、号寺家を残置、任雅意*5之条、昨日加成敗*6候、近年逆意之催、不可有其隠候*7、就其、彼一類并…
法花寺西蔵対寺家、毎度緩怠*1之子細*2就在之、去年生害*3させ可遣候処、風をくらひ*4走*5候間、不及了簡*6候、然□□(者其)村へ切々*7立入由候末、其元於在之者搦捕可上候、自然於見隠*8聞隠*9者可為曲事候也、 慶長二年 正月廿三日 隠岐(石田正継*10印) …
以前こういう記事を書いた。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 以前の記事の具体例を偶然見つけたので、ふたたび論じることにする。 mainichi.jp 何の御役にも立つませず世を去りました 御主人様の御情けで私共親子三人何(ど)うに 厚く*1/…
別院*1倉米*2以去年分之内、米六石六斗、六十□(六カ)人、中村*3、七石一斗、七十一人、安瀬(栖)里村*4、合拾三石七斗之事、亀山*5普請分者、片山兵内*6百姓人別*7為廿日飯米、可被相渡候也、仍如件、 天正九年卯月十八日 光秀 瀬野右近殿*8 東沢加賀守殿…
文書のタイトルが「西郷家万留」とあるように、竪冊にさまざまな文書を書き写したものであろう。綴じ穴があり、また折り目もあることから、冊子体であったことは明らかである。 しかし、この画像は一紙ものであるかのようで、撮影にあたって「特殊な交渉術」…