一、作しきの儀にいたつてハ、此さき*1御けん地*2の時、けんち帳*3に書のり申ものゝさばきニ仕、人にとられ候事も、又むかし我かさくしきと候て、人之をとり申事もちやうし*4せしむる也、付給人に見せすかり取田ハ、免*5つかハし申ましき事、
右、九ヶ条如件、
文禄五年
三月朔日 治部少(花押)
(書き下し文)
ひとつ、作職の儀に至っては、この前御検地の時、検地帳に書き載り申す者の捌きにつかまつり、人に取られ候ことも、またむかし我が作職と候て、人のを取り申すことも停止せしむるなり、つけたり、給人に見せず刈り取る田は、免遣わし申すまじきこと、
右、九ヶ条くだんのごとし、
(大意)
ひとつ、作職のことについては、この前の御検地のさいに検地帳に記載された者の扱いとし、田畑を他人に取られることも、またかつて自分の作職だったと主張して、他人の田畑を取ることも禁止させる。つけたり、年貢納入前に給人に見せることなく刈り取った田は、年貢の減免扱いはしない。
右、九ヶ条以上の通りである。
検地帳に記載された名請人が唯一の「作職」保持者であるという有名な原則である。それ以外の者が、たとえば「名主職を持っている」と称して横取りしようとしたり、あるいはかつて保持していたからといって何らかの権利を持つ、というわけでないと定めている。
ただ「作職」という表現は気になるところである。おそらく荘園制のもと「名主職」「百姓職」「作職」「下作職」などさまざまな職があるなか、秀吉が理想としたのが「作職」保持者だったのであろう。