日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

文禄5年3月1日石田三成九ヶ条村掟を読む その9/止

 

 

一、作しきの儀にいたつてハ、此さき*1御けん地*2の時、けんち帳*3に書のり申ものゝさばきニ仕、人にとられ候事も、又むかし我かさくしきと候て、人之をとり申事もちやうし*4せしむる也、付給人に見せすかり取田ハ、免*5つかハし申ましき事、

  右、九ヶ条如件、

 文禄五年

  三月朔日  治部少(花押)

 

 

(書き下し文)

ひとつ、作職の儀に至っては、この前御検地の時、検地帳に書き載り申す者の捌きにつかまつり、人に取られ候ことも、またむかし我が作職と候て、人のを取り申すことも停止せしむるなり、つけたり、給人に見せず刈り取る田は、免遣わし申すまじきこと、

  右、九ヶ条くだんのごとし、

 

(大意)

 

ひとつ、作職のことについては、この前の御検地のさいに検地帳に記載された者の扱いとし、田畑を他人に取られることも、またかつて自分の作職だったと主張して、他人の田畑を取ることも禁止させる。つけたり、年貢納入前に給人に見せることなく刈り取った田は、年貢の減免扱いはしない。

  右、九ヶ条以上の通りである。

 

 

 

 

検地帳に記載された名請人が唯一の「作職」保持者であるという有名な原則である。それ以外の者が、たとえば「名主職を持っている」と称して横取りしようとしたり、あるいはかつて保持していたからといって何らかの権利を持つ、というわけでないと定めている。

 

 

ただ「作職」という表現は気になるところである。おそらく荘園制のもと「名主職」「百姓職」「作職」「下作職」などさまざまな職があるなか、秀吉が理想としたのが「作職」保持者だったのであろう。

 

 

*1:以前

*2:「御」があることから秀吉の命を受けて行われた検地

*3:「御検地」に対して「検地帳」に「御」が付かないところは興味深い

*4:停止

*5:「免」は本来「ゆるす」という意味で年貢の減免を指したが、領主の取り分、つまり年貢率を意味することもある両義的な用語である。ここでは文脈から前者と解した