日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

文禄5年3月1日石田三成九ヶ条村掟を読む その4の補足

 

第1条とこの第4条を比較すると表記ゆれが見られるので、補足しておきたい。

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com

ふたたび引用する。

 

右用立たざるを引き、この三十軒としてつめ夫二人あいつめ申すべく候、この外かって出すべからす、この村へ他郷より出作分または地下に田作り候て、夫つかまつらざる者よりいたす夫米は、右の二人の詰夫の入用につかまつるべく候、出作分多く候て夫米余り候はば、地下の徳用たるべしなり、

 

 

また4条は以下の通り。

 

 

自然この村へ入作多く候て、夫米・詰夫の雑用に余しそうらわば、この地下の徳用に致すべきなり、またこの地下のうちに田畠作り候て、その身夫に出で候ことならぬ者あらば、夫米出作並みたるべきこと、

 

 

1条の「出作」が4条では「入作」と表現されているが、1条の「他郷より出作分」とあるので、これが4条の「入作」と同じ現象をあらわしていると解釈すべきであろう。

 

そう解釈すれば、1条の下線部「出作分多く候て夫米余り候はば、地下の徳用たるべし」が、4条の下線部「この村へ入作多く候て、夫米・詰夫の雑用に余しそうらわば、この地下の徳用に致すべきなり」と同義であると整合的に理解できる。

 

さらに「雑用」が「詰夫」=千石夫を賄う諸経費=「入用」であることも明らかになる。その剰余分は「地下の徳用」、近世でいうところの村入用にあてられたようである。ある意味、村入用の存在を「公的に」認めさせたともいえる記述である。

 

この掟書にはたんに一方的に命じたとは言いがたい、在地の実態が何らかの形で反映されたと思われる記載が認められる。