日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

寛永14年11月28日水野勝成宛土井利勝・酒井忠勝・阿部忠秋連署老中奉書を読む

 

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(折紙)*1

  

   以上

一筆令啓候

公方樣*2一段御機嫌

能被成御座候間可御

心易候然者*3今度

嶋原天草きりしたん

蜂起之儀*4今程者

相済可申候後跡

以下為御仕置*5

上使*6松平伊豆守*7

戸田左門*8被差遣之候

万一人なと入候者各へ

可被申入候間其儀

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心得尤候恐々謹言

 十一月廿八日*9 

  阿部豊後守

              忠秋(花押)

  酒井讃岐守

              忠勝(花押)

  土井大炊頭

              利勝(花押)

 水野日向守殿

 

 

(書き下し文)

   

一筆啓せしめ候、(平出)公方樣一段ご機嫌よくござなられ候あいだお心やすんずべく候、しからば今度嶋原・天草きりしたん蜂起の儀、今程はあい済み申すべく候、あとあと以下御仕置のため、上使松平伊豆守ならびに戸田左門これを差し遣わし候、万一人など入りそうらわば、おのおのへ申し入れらるべく候あいだ、その儀心得もっともに候、恐々謹言、

  以上

 

(大意)

一筆申し上げます。公方樣におかれましては一段とご機嫌よくお過ごしでございますので、どうかご安心ください。さてこの度島原天草の切支丹が蜂起した件について、現在落ち着いておりますが、後始末の仕置のため、使者松平信綱および戸田氏鉄を派遣しました。万一軍勢が必要になったさいは、皆様へお願いすることになるでしょうから、その点お含み置きください。謹んで申し上げました。追伸はありません。

 

 

 

 

 「一筆令啓候」ではじまり「恐々謹言」で終わる私信だが、将軍の意思を「奉じて」連署した老中がその旨伝えることから、古文書学では老中奉書と呼ぶ。

 

この文書発給の前日、幕府は一揆鎮圧後の仕置のため、老中松平信綱大垣城主戸田氏鉄の両名を肥前に派遣することを決定している。*10

 

 

*1:折り目は通常下にする。折紙を綴じて帳簿にしたものを「横冊」、「横帳」。折らずにそのまま使うときは「竪紙」(たてがみ)と呼び、それを左右に折り、「丁」としたのち帳簿とした場合を「竪冊」、「竪帳」と呼ぶ。ただし「香奠帳」など不幸のさいの横冊、横帳は折り目を上にした折紙で作成する。

*2:大猷院殿、徳川家光

*3:ここから内容が始まる、というときの文言。「陳者」(のぶれば)と同義

*4:島原天草一揆

*5:年貢等の徴収を「所務」といい、その他の領主的支配を「仕置」と呼ぶ

*6:上級権力者から公命を帯びて派遣される使者

*7:松平信綱

*8:戸田氏鉄

*9:寛永14年

*10:東京大学史料編纂所大日本史料総合データベース

https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1637/19-6-2/21/0003?m=all&s=0003&n=20