日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正12年6月15日羽柴秀吉楽田表加勢衆書上

 

   かくてん*1表加勢衆其外六月廿日より十日分被遣候衆之事
三百人               伊藤かもん*2
弐百五十人             福島市兵衛*3
(中略)
四千四百七拾人           御次殿*4
             合壱万千弐百人           ・・・・・・①
    右十日分八木*5、合五百六拾石         ・・・ ・・・②

       都合*6千弐百九拾五石可相渡者也、    ・・・・・・③

  天正拾弐年六月十五日
秀吉(花押)        
    右之わり*7
        百弐十五石     高田長左衛門尉*8
       四百石       矢野兵部*9
       弐百七十石     山田金助*10
           此内百八十四石請取申候、
       五百石            西蔵坊*11
           合千弐百九十五石      ・・・・・・④
 
(書き下し文)
 
   楽田表加勢の衆そのほか六月二十日より十日分遣わされ候衆のこと
三百人               伊藤掃部
二百五十人             福島市兵衛
(中略)
四千四百七十人           御次殿
             合わせて一万千二百人
    右十日分八木、合わせて五百六十石

       都合千二百九十五石相渡すべきものなり、

 
  天正十二年六月十五日
秀吉(花押)         
    右の割
        百二十五石       高田長左衛門尉
       四百石       矢野兵部
       二百七十石     山田金助
           このうち百八十四石請け取り申し候、
       五百石             西蔵坊
           合わせて千二百九十五石
 
 
(大意)
 
     楽田に加勢する部隊および六月二十日から十日間派遣する部隊について
300人              大将 伊藤掃部
250人              同  福島正信
(中略)
4,470人               同  羽柴秀勝
                              合計11,200人
 この十日分の米は560石
     本隊分と加勢分合わせて米1,295石が必要である。
  天正12年6月15日
秀吉(花押)         
       これの配分は
        125石       担当 高田長左衛門尉
        400石       同  矢野兵部
        270石       同  山田金助   
          このうちの184石はすでに受け取っている。
        500石       同  西蔵坊
           合計 1,295石
 
 

 

本文書は秀吉が兵士の数に対して支給すべき米穀の量を定めたもので、小牧長久手合戦において兵站を重要視していたことを示している。

 

戦闘面においても軍勢の配置を記した「陣立書」という文書をこのときはじめて作成しており、大規模集団戦を強く意識していた*12

 

さて①の加勢・派遣部隊の人数は11,200人であり、これに対して10日分として②のように560石を割り与えている。つまり

 

   ②/①*1/10=0.005

 

でひとりあたり一日5合となる。5合は家庭用炊飯器約1杯分に相当する。「腹が減っては戦はできぬ」*13といってもさすがに食い過ぎである。数に入っていない従者の分も含まれていたのか、残りは報酬とされたのか、あるいは酒などを買うのにあてたのか本文書だけではわからない。

 

また本隊分ともに合わせて③の分だけ必要なので、高田長左衛門尉らにこれを用意するよう割り振っている。その合計が④(=③)である。

 

以上のように秀吉が戦闘面と兵站の両面に気を配っていたことがわかる。

 

*1:尾張国丹羽郡楽田

*2:掃部助祐時

*3:正信、正則の父

*4:羽柴秀勝、秀吉の養子

*5:「八」と「木」で「米」、「神」を「ネ申」で表すのと発想は同じ

*6:加勢部隊に加えて従来から在陣していた本隊の分総計

*7:割、割り当て・分配

*8:176号文書に浅野長吉とともに兵粮確保の任に当たっていることが見える

*9:未詳

*10:秀吉の馬廻、朝鮮の役では軍馬の徴発に従事

*11:未詳

*12:『愛知県史 通史編3 中世2・織豊』コラム「陣立書の成立」267頁

*13:『世界ことわざ比較辞典』400頁、岩波書店、2020年によればこれに類する言い回しは17世紀末松尾芭蕉の「ひだるき(ひもじさ)はことに軍の大事なり」が初出で、20世紀はじめにヨーロッパのことわざが訳出された際「腹ガヘッテハ軍ガ出来ヌ」が見えることから、人口に膾炙したのはごく最近のこととしている