覚一、池田紀伊守*1犬山*2在之三千貫余*3被召置候分、先〻*4作内*5百姓をも召出、裁許可仕事、
一、羽黒*6領廻*7儀者、山内伊右衛門尉*8裁許いたすへき事、
一、楽田*9廻、其外小牧原*10ゟ東しのぎ*11辺、成次第*12左衛門督*13百姓をも可召出事、
一、従尾口*14西南儀者、成次第稲葉与州*15百姓被召出、可被仰付事、
一、自今日取出*16ニ在之侍*17共事ハ不及申、其外又下人*18ニいたるまて、自然余仁*19へ於罷出者くせこと*20たる
へき事、
一、百姓以下申事於在之者*23、秀吉可被相尋、理非ニ立入*24成敗*25可申付事、
以上
天正拾弐年五月二日 筑前守(花押)『秀吉文書集二』1068号、37頁
『愛知県史 資料編12 織豊2』452号、193頁(書き下し文)覚一、池田紀伊守犬山にこれある三千貫余召し置かれ候分、先〻作内百姓をも召し出だし、裁許つかまつるべきこと、
一、羽黒領まわりの儀は、山内伊右衛門尉裁許いたすべきこと、
一、楽田まわり、そのほか小牧原ゟ東篠木あたり、なりしだい左衛門督百姓をも召し出だすべきこと、
一、尾口より西南の儀は、なりしだい稲葉与州百姓召し出だされ、仰せ付けらるべきこと、
一、今日より取出にこれある侍どものことは申すにおよばず、そのほか又下人にいたるまで、自然余仁へ罷り出づるにおいては曲事たるべきこと、
一、国本の知行分、いずれも諸役これあるまじきこと、
一、百姓以下申すことこれあるにおいては、秀吉に相尋ねらるべし、理非に立ち入り成敗申し付くべきこと、
以上
(大意)覚一、池田元助の犬山領三千貫あまりの分は、のちのち加藤光泰領の百姓も呼び出し裁許すること。一、羽黒領周辺は山内一豊が裁許すること。一、楽田周辺および小牧原から東篠木まではでき次第堀秀政が百姓を徴発すること。一、尾口より西南はでき次第稲葉一鉄が百姓を徴発し、裁許すること。一、本日より取出に立て籠もっている「侍」はもちろんそのほか「又下人」にいたるまで、他の抱え主に奉公しようとする者は曲事である。一、地元の領地の百姓らに諸役を負担させてはならない。一、百姓以下異議がある場合は秀吉に直接尋ねるように。双方の主張の理非を見極め裁断申し付ける。以上である。
Fig.尾張国丹羽郡・春日井郡周辺図
6月4日には「尾口・羽黒・楽田と申す三ヶ所付城申し付け」*26と常陸の佐竹義重に充てて三ヶ所に城を築いたと書き送っている。また「貴国境目にいたり北条氏直取り出し候につき、義重差し向かわれ今にご対陣のよしに候」と関東でも秀吉派と家康派に分かれ緊張が高まっていることがうかがわれる。一方の家康も丹波大槻氏に自身の戦果を報告するとともに上洛予定であると述べており*27、羽柴対徳川・織田(信雄)という構図を超えた全面戦争前夜の趣を呈している。
本文書は充所がないため解釈がむずかしい。影写本しか現存せず、それすら確認できなかったので軸装される際に裁断されたのか、もともと書かれていなかったのかすら判断できない。ただし、文書の内容から秀吉と同等である織田大名か秀吉家臣の誰かに充てた、占領地の領域ごとに訴訟の責任者を定めたものと解することはできそうだ。
一条目はとりあえず逐語訳的に現代文になおしてみたが、何が問題とされているのかわからないためまったくの意味不明になってしまった。今後の課題としたい。
最後の箇条は百姓らからの異議申し立てに苦慮しているなら秀吉に直接裁定を仰ぐように、と述べている。在地の裁判権を秀吉に集中しようとしているのだろうか。
下線部分は、天正19年武家奉公人を確保するため発した「侍は申すに及ばず、中間・小者・荒子にいたるまで、新儀に町人百姓になり候者これあるにおいては一町一在所ご成敗」を彷彿とさせる文言で、大規模戦争を前に秀吉が人員を確保しようとした意味において共通するところがある。
本文書は占領地において在地にどう対応すべきかを示すものと位置づけられるだろう。
なお、小牧長久手合戦については『愛知県史 通史編3 中世2・織豊』(2018年)を参照されたい。
*1:『秀吉文書集二』、『愛知県史』は元助に比定。恒興の長男で輝政の兄。『大日本史料』は恒興とする。両名とも4月9日戦死
*2:尾張国丹羽郡、図参照
*3:美濃や尾張は貫高制
*4:のちのち
*5:加藤光泰
*6:同国同郡、図参照
*7:羽黒領の周囲
*8:一豊
*9:同国同郡、図参照
*10:同国春日井郡、図参照
*11:同国同郡篠木、図参照
*12:城ができ次第
*13:堀秀政
*14:同国丹羽郡、図参照
*15:伊予守良通/一鉄
*16:砦、出城
*17:固定的な身分呼称ではなく、戦闘員として砦に籠もっている者一般
*18:籠城している者が「侍」から「又下人」まで様々な階層からなっていたことを示している。「戦闘員から最下層の非戦闘員にいたるまで」といったところだろう。むろん非戦闘員だろうと戦場に駆り出される以上殺害されたり、乱取=奴隷狩りの対象になるなど危険であることにかわりはない。またよくいわれるように映画「七人の侍」をモデルとした百姓像をフィクションの世界でいまだに見かけるが、中世の百姓は臆病者でもお人好しでも「平和」主義者でもない。また郷村内のヒエラルヒーが描かれることも少ない。ただし菅浦をモデルに中世惣村を描いた小説はある。岩井三四二『月ノ浦惣庄公事置書』
*19:「余人」、他の抱え主や敵方
*20:曲事
*21:本国の、領国の
*22:年貢以外の課役
*23:百姓たちの異議申し立てがあった場合
*24:「理非を論ぜず」の正反対
*25:裁く。時代劇のセリフの「処刑する」ではない
*26:1098号、45~46頁
*27:『愛知県史 資料編12 織豊2』 459~461号、195~196頁