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一、茶ゑん之事、年貢をもり申間敷候、検地仕候上ハ、公方へ上り可申物ニあらす候、但ちやゑん在之屋敷並畠、検地之時少心持あるへき事、
(書き下し文)
ひとつ、茶園のこと、年貢を盛り申すまじく候、検地仕り候うえは、公方へ上り申すべき物にあらず候、ただし茶園これある屋敷ならびに畠、検地の時少心持ちあるべきこと、
*もり:「盛り」のことで、人と、役割・任務・分担費用などの事物との対応関係をつくることの意。
*少心:仏教用語で注意深いこと、細かに心をくばることの意。
(大意)
ひとつ、茶畑のことは年貢を割り当てることのないようにしなさい。検地を行い(検地帳に記載しても)公方へ納める物ではない。ただし、茶が植えてある屋敷地や畠などは検地の際、(見落としがないように)十分に注意しなさい。
長浜市立長浜城博物館『石田三成第二章』(2000年)71頁によれば文書の原本はいまだ発見されていないという。
茶畑は年貢を免除するとあるが、後半部分では見落としがないようにせよとも言っているので、百姓の好き勝手にやらせておけ、ということではないようだ。検地帳には記載して、時が来れば納めさせる意図もあったのかも知れない。いずれにしても、管理下に置くという点では一貫している。
ところで、いままで「公方」を秀吉のことと解釈してきたが、島津家を指すのかも知れないという気もしてきた。近世では「犬公方」でおなじみのように将軍のみを指すが、中世ではもっと広い概念であり、荘園領主も公方と呼ばれてきた。そういった事情も考えると島津と解釈した方が自然だと思われるが、これは保留し、はっきりするまで公方という用語をそのまま使いたい。