日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正18年8月9日豊臣秀吉朱印状写「奥州会津御検地条々」(一柳文書)を読む

前回、「一昨日如被仰出候、斗代等之儀、任御朱印之旨:8月10日『奥州会津御検地条々』写(一柳文書)の趣旨」としてお茶を濁した史料を読む。

秀吉の検地に懸ける意気込み 「一郷も二郷も撫で切りにせよ」 その2/止 - 日本史史料を読むブログ 一次ソースまたは1.5次ソースを探せ!

 

一柳文書については播磨良紀「豊臣期の一柳文書について」(『織豊期研究』3号、2001年)を参照されたい。

 

 

    奥州会津御検地条々       土佐守所持

一、上田一段     永楽銭弐百文宛事

一、中田一段      百八拾文宛事

一、下田一段      百五拾文宛事

一、上畠一反      百文宛事

一、中畠一段      八拾文宛事

一、下畠一反      五拾文宛事

一、山畠ハ見あて次第年貢可相究事、

一、漆木見計年貢可相究事、

一、川役相改別ニ御代官可被仰付事、

一、田畠共ニ一段ニ付五間六拾間ニ可相定事、

   以上

             天正十八年八月九日 

                秀吉公御朱印

 

(書き下し文)

    奥州会津御検地条々     土佐守所持

ひとつ、上田一段   永楽銭弐百文ずつのこと

ひとつ、中田一段    百八拾文ずつのこと

ひとつ、下田一段    百五拾文ずつのこと

ひとつ、上畠一反    百文ずつのこと

ひとつ、中畠一段    八拾文ずつのこと

ひとつ、下畠一反    五拾文ずつのこと

ひとつ、山畠は見あて次第に年貢あい究むべきこと、

ひとつ、漆木見計らい年貢あい究むべきこと、

ひとつ、川役あい改め、別に御代官被仰せ付けらるべきこと、

ひとつ、田畠ともに一段につき五間六拾間にあい定むべきこと、

   以上

   天正十八年八月九日

       秀吉公御朱印       

 

 

 

*土佐守所持:「この検地条々は土佐守が持っている」の意か。土佐守については後述。

*田畠共ニ一段ニ付五間六拾間ニ可相定:田畠とも面積は1反=5間*60間、つまり300歩=1反とするの意。それまでは360歩=1反だった。

 

 

 

土佐守が長宗我部元親なのか盛親なのか、確かめられなかった。元親は「土佐侍従」であり、盛親は「土佐守」と記されているものはあるが、官位相当からいえば中国*である土佐の長官(かみ)は従六位下であり、一方侍従は従五位下なので兼職できるのか疑問が残る。

 

*中国:国にはランクがあり上から、大国・上国・中国・下国の四等級があり、土佐国は三番目に位置する。

 

ところで一柳文書のうち国会図書館蔵の原本はデジタルコレクションからダウンロードできるので、秀吉の朱印をご覧になりたい方は以下のURLから「一柳文書」ですぐに見つけられるのでどうぞ。

http://dl.ndl.go.jp/