日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正11年8月29日摂州本庄・芦屋郷・山路庄宛石持定

                     摂州

                       本庄*1

       定               芦屋郷

                       山路庄

一、対百姓不謂儀申懸族一銭切*2たるへき事、

一、田畠作毛*3あらす*4へからさる事、

一、石持者共不可宿借*5事、

右条々違背輩在之者、速可加成敗者也、仍下知如件、

  天正十一年八月廿九日             筑前守(花押)

                              『秀吉文書集』一、815号、261頁

 

(書き下し文)

                     摂州

                       本庄

       定               芦屋郷

                       山路庄

一、百姓に対し謂われざる儀申し懸くる族一銭切たるべきこと、

一、田畠作毛荒らすべからざること、

一、石持の者ども宿借すべからざること、

右の条々違背の輩これあらば、すみやかに成敗を加うべきものなり、よって下知くだんのごとし、

 

(大意)

 

          摂津国菟原郡本庄・芦屋郷・山路庄のものたちへ

      定

一、本庄・芦屋郷・山路庄の百姓に対して、謂れのない言いがかりをつけてくる者は「一銭切り」とする、

一、田畠の収穫を台無しにしてはならない。

一、「石持」の者たちに宿を貸してはならない。

右の箇条に違背する者は、ただちに処罰するものである。以上が下知である。

 

 Fig 摂津国菟原郡本庄・芦屋郷・山路庄の周辺図

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                    『国史大辞典』「摂津国」より作成

 

大坂城築城のために「石持」なる人足役が徴発されたために出された、郷村保護を目的とした禁制である。理由もなく言いがかりをつける者は厳罰に処することを約束すると同時に、田畠の耕作をおろそかにしないことを命じている。三箇条目は宿賃を取る商売を禁じているのか(田畠を荒らさぬよう耕作に専念させ、年貢徴収の安定化を図る)、むやみに見知らぬ者に宿を貸すことを禁じているのか(治安維持)、おそらく両方なのだろう。

 

 

いずれにしろ、郷村保護政策が年貢徴収を実現するためのものであることにかわりはない。太閤検地は家父長制的奴隷制社会の解体を企図し、小農民の自立を促したとかつてはよくいわれたが、秀吉の政策もまたパターナリスティックだったというのはいささか嫌みに聞こえるだろうか。

 

 

*1:菟原郡、以下同じ。図参照

*2:①「一銭でも盗んだ者は斬罪に処す」②「切は限りの意で、罪を犯した者は財産を一銭残らず没収する」③「銭は千の宛字で一千切、つまり細かく切り刻む」などの解釈があるが立ち入らない

*3:収穫、実り具合

*4:荒らす

*5:「借」という字は「借りる」「貸す」どちらにも使うが、この「定」が本庄などの郷村宛であることから「貸す」の意味になる。「日葡辞書」には「宿借り」として文字通り「宿を借りること」との説明もあるが、そちらだと意味が通らなくなる