禁制 戸田*1
一、伐採山林竹木事、付放火事、
一、田畠苅取事、
右条々堅令停止訖、若於令違背輩者速可処罪科者也、仍如件、
(書き下し文)
禁制 戸田
ひとつ、軍勢、甲乙人乱妨狼藉のこと、
ひとつ、山林竹木を伐り採ること、付けたり放火のこと、
ひとつ、田畠刈り取ること、
右条々堅く停止せしめおわんぬ、もし違背せしむるともがらにおいては速やかに罪科に処すべきものなり、よってくだんのごとし、
(大意)
禁止事項 戸田郷の者どもへ
ひとつ、当軍勢の者が衆庶へ乱暴狼藉を働くこと。
ひとつ、当軍勢の者が山林の竹木を切り取り持ち去ること。付けたり、放火すること。
ひとつ、当軍勢の者が田畠を刈り取り、作物を奪うこと。
右の三条きびしく禁じたところである。もしこれに背く者どもがあらわれた場合は速やかに罪に問うものとする。以上。
「一、165号、55~56頁」
「秀吉文書集 一」によれば天正6年3月播磨国へ本文書も含め4通、但馬へ1通禁制を発給している*4。いずれも三条からなるが、軍勢の甲乙人への乱妨狼藉以外は様々である。本文書では、二条目に「付けたり」として竹木の伐採禁止とは異なる放火の禁止を加えている。つまり内容の一貫性より様式を重視したものといえる。