書状拝見候、仍堺宗久*1令逐電*2由候、如何様之子細*3候哉、沙汰外候*4、誰哉之者おとし*5候て其分*6候哉、宗久事者早〻可罷帰由可申遣候、宮法*7へも書状遣し候、其分可申付由候、将亦*8石持道*9事*10、無由断申付由尤候、随而普請者*11共宿事*12、播州衆*13なとも見計方切〻仕候て、宿儀可相渡候、恐〻謹言、
筑前守
八月廿二日 秀吉(花押)
一柳[ ]殿
『秀吉文書集』一、806号、257頁
(書き下し文)
書状拝見候、よって堺の宗久逐電せしむるよしに候、いかようの子細候や、沙汰のほかに候、誰やの者脅し候てそのわけ候や、宗久の事は早〻罷り帰るべきよし申し遣わすべく候、宮法へも書状遣し候、そのわけ申し付くべきよしに候、はたまた石持道のこと、由断なく申し付くるよしもっともに候、したがって普請者ども宿のこと、播州衆なども見計らい方切〻仕り候て、宿儀相渡すべく候、恐〻謹言、
(大意)
お手紙拝見しました。堺の今井宗久が失踪したそうで、どのような事情があったにせよもってのほかの所業です。誰かの配下の者が脅したので出奔したのか、早く戻るように申し遣わすようにしてください。松井友閑へも早く帰るように書状をしたため申し伝えてください。また石持の道中のことは、播州衆らが適当に宿を与えてください。謹んで申し上げました。
この書状は二部構成になっている。すなわち、前半では今井宗久が逐電したので戻るように手配していることが、後半では大坂城築城のために集まってくる「石持」と呼ばれる者たちの宿をうまく手配するようにと書かれている。
今井宗久の出奔はその後、秀吉発給文書に見えないので詳細はわからずじまいである。秀吉はこのとき宗久に裏切られたと感じたのだろうか。
「石持」についてもわからないが、石を切り出す「石工」ではなくそれを運搬する人足だったようだ。