日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正11年8月22日一柳某宛羽柴秀吉書状

 

 

書状拝見候、仍堺宗久*1令逐電*2由候、如何様之子細*3候哉、沙汰外候*4、誰哉之者おとし*5候て其分*6候哉、宗久事者早〻可罷帰由可申遣候、宮法*7へも書状遣し候、其分可申付由候、将亦*8石持道*9*10、無由断申付由尤候、随普請者*11共宿事*12、播州衆*13なとも見計方切〻仕候て、宿儀可相渡候、恐〻謹言、

                      筑前守

  八月廿二日                 秀吉(花押)

    一柳[   ]殿

                        『秀吉文書集』一、806号、257頁

 

 

(書き下し文)

 

書状拝見候、よって堺の宗久逐電せしむるよしに候、いかようの子細候や、沙汰のほかに候、誰やの者脅し候てそのわけ候や、宗久の事は早〻罷り帰るべきよし申し遣わすべく候、宮法へも書状遣し候、そのわけ申し付くべきよしに候、はたまた石持道のこと、由断なく申し付くるよしもっともに候、したがって普請者ども宿のこと、播州衆なども見計らい方切〻仕り候て、宿儀相渡すべく候、恐〻謹言、

 

(大意)

 

 お手紙拝見しました。堺の今井宗久が失踪したそうで、どのような事情があったにせよもってのほかの所業です。誰かの配下の者が脅したので出奔したのか、早く戻るように申し遣わすようにしてください。松井友閑へも早く帰るように書状をしたため申し伝えてください。また石持の道中のことは、播州衆らが適当に宿を与えてください。謹んで申し上げました。

 

 

この書状は二部構成になっている。すなわち、前半では今井宗久が逐電したので戻るように手配していることが、後半では大坂城築城のために集まってくる「石持」と呼ばれる者たちの宿をうまく手配するようにと書かれている。

 

今井宗久の出奔はその後、秀吉発給文書に見えないので詳細はわからずじまいである。秀吉はこのとき宗久に裏切られたと感じたのだろうか。

 

「石持」についてもわからないが、石を切り出す「石工」ではなくそれを運搬する人足だったようだ。

 

 

 

*1:今井

*2:出奔、消息を絶つこと、失踪

*3:事情

*4:「沙汰の限り」に同じ、もっての外である

*5:脅し

*6:逐電したこと

*7:松井友閑

*8:ハタマタ、ここから別の話題に入る

*9:道中

*10:大坂城築城のために石を運ぶこと。8月28日家臣に充てて「普請石持付而掟」を発給している。809~812、814号

*11:普請のための人足

*12:上述「普請石持について掟」には彼らの宿について記されている

*13:8月1日播磨に知行地を与えられた片桐貞隆・加藤嘉明らのこと