日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正2年10月22日こほ[ ]宛羽柴秀吉書状

  かへす/\それさま*1御ことわり*2にて候まゝ、まち*3の事ゆるし*4申候、

  よく/\此ことわり*5御申きかせ候へく候、以上、

まちのねんく申つけ候ニつゐて、文くわしくはいけん申まいらせ候、

一、まち人の事、われ/\ふびんかり候て、よろつようしゃせしめ候ところ、うずい*6ニなり申候て、さい/\の百しやうをまちへよひこし申候事、くせ事ニて御入候事、

一、よそのりやうちのものよひかへし候事ハ、もつともニ候へとも、きたのこおり*7のうち、われ/\りやうぶん*8のもの*9よひこし*10候て、しよやく*11つかまつり候ハぬを、よく候とて、ざい/\をハあけて*12ゑん/\*13ニよひこし申候事、しよせん*14まち人ニねんく・しよやくゆるし申候ゆへにて候まゝ、たゝいま申つけ候事、

一、かやう*15ニ申つけ候へとも、それさま御ことわり*16にて候まゝ、せん/\*17のことく*18ねんく・しよやくゆるし申候まゝ、ふきやう*19のものともニ此よし*20御申つけ候へく候、かしく、

                  藤きちらう

  十月廿二日*21              ひて吉

    こほ[      ]

                         「一、103号、35頁」*22(「近江長浜町志」)

 

(書き下し文)

町の年貢申し付け候について、文詳しく拝見申しまいらせ候、

一、町人のこと、われわれ不憫がり候て、万(よろず)容赦せしめ候ところ、踞になり申し候て、在〻の百姓を町へ呼び越し申し候こと、曲事にて御入り候こと、

一、よその領地の者呼び返し候ことは、もっともにそうらえども、北の郡のうち、我々領分の者呼び越し候て、諸役つかまつりそうらわぬを、よく候とて、在〻をば挙げて延々に呼び越し申し候こと、所詮町人に年貢・諸役赦し申し候ゆえにて候まま、ただいま申しつけ候こと、

一、斯様に申し付けそうらえども、それさまお断りにて候まま、先々のごとく年貢・諸役赦し申し候まま、奉行の者どもにこの由お申し付け候べく候、かしく、

   かえすがえすそれさま御断りにて候まま、町のこと赦し申し

   候、よくよくこの理お申し聞かせ候べく候、以上、

 

(大意)

 町の年貢納入を命じたことについての、あなた様からの書状拝見いたしました。

一、町人の件は、われわれが不憫に思い、すべての年貢・諸役を免除したところ、驕慢な態度を見せるようになり、郷村の百姓を町へ呼び寄せたことは曲事にあたります。

一、他の領地へ欠落したものを呼び戻したことは結構なことですが、近江北郡のうちから、我々の領地の者まで呼び寄せ、諸役をつとめないことをよしとして、郷村一同こぞって長々と呼び寄せているのは、つまるところ町人に年貢・諸役を免除しているためでしょうから、今回納入を命じた次第です。

一、このように命じても、あなた様が町人が年貢・諸役を納めることを拒否したので、従来のとおり赦免する旨、年貢などを取り立てに来た奉行の者にお伝え下さい。かしく。

  あなた様がお断りになったので、町の年貢・諸役を免除しました

  ので、くれぐれもこの経緯を町の者によくよく申し聞かせて下さい。

  以上。

 

 

充所が破損しているためはっきりしないが、主に仮名で書かれていること、「其様」など女性が用いる用語を使用している点から、町(マチ)を差配する有力な立場の女性にあてたものと推測できる。国人領主クラスなら井伊直虎に匹敵する存在といえる*23そういう点でも興味深い文書である。

 

「町人のこと、われわれ不憫がり候て」とあるが、これは一種の決まり文句で「特別扱いしてやっている」という態度を見せつつ、後半に「先々のごとく年貢・諸役赦し申し候」と従来からの慣例で町の年貢・諸役を免除していると本音を述べている。相手からの申し入れを「侘言」と呼ぶのと同様である。新たに領主となった秀吉もそれを踏襲した。それを逆手にとって郷村の百姓たちを年貢・諸役を免れるため町へ呼び寄せているわけである。町が主導していると秀吉は見たようで、町に年貢納入を命じたところ、有力者の「こほ[ ]」が秀吉にこれを拒否する旨の書状を送り、それに対する返答が本文書というわけである。

 

   (訂正部分)

「人返し」は広汎に見られる慣行で、有名な事例として伊豆国泉郷百姓窪田十郎左衛門が挙げられるだろう。欠落した者たちは「百姓窪田十郎左衛門の者」と記されているように窪田十郎左衛門に召し抱えられる百姓*24で、欠落してから12年後に逃亡先から連れ戻す裁定が小田原北条氏から下されている(ただし実現したかどうかは不明)。戦国大名たる北条氏が「御国*25候」と、このような裁定を下したように、「本来の主人」に戻すべきという観念が一般的だった。現時点での秀吉も、後年の彼もこれに倣っている。(止)

 

結局、追而書に秀吉の未練がつらつらと認められているものの、この女性有力者に折れる形で決着している。

 

戦国期を生きる「まち人」や「百姓」、そして女性有力者が織田大名羽柴秀吉に対し「勝利」した強かさをそこに見いだすこともできるだろう。

 

一方の秀吉にとっては手痛い「敗北」であったかもしれない。

 

 

*1:其様:あなたさま、女性がよく用いる尊称

*2:断り

*3:

*4:赦す:年貢・諸役を赦免すること

*5:理:道理

*6:踞:驕り高ぶること、尊大なこと

*7:近江国北郡。戦国期は郡境がしばしば入り組み、それまでになかった郡名が現れることもある。また日向国真幸院のように公式には郡ではないものの、地域ではあたかも郡であるかのように扱われる事例もある

*8:領分

*9:

*10:呼び越し:呼び寄せること

*11:諸役

*12:挙げて:郷村こぞって

*13:延々

*14:所詮:結局のところ

*15:斯様

*16:断り

*17:先々

*18:これまでの通り

*19:奉行

*20:

*21:天正2年

*22:本文書集では「こほ宛」とされているが、破損のためタイトルは「こほ[ ]宛」とした

*23:今川氏の寿桂尼戦国大名なみ

*24:安良城盛昭にしたがえば窪田が家父長的奴隷主であり、「の者」と呼ばれる者が「下人」などの家内奴隷にあたる

*25:ここでいう「国」は北条氏勢力下を指す