現在では考えられないが、かつて乗車駅から降車駅まで全額無賃で乗車することを「薩摩守」と呼び、乗車駅と降車駅付近の料金のみを支払う不正乗車を「キセル」といった。
前者は平忠度(たいらのただのり)が薩摩守に任官していたことに、後者は吸い口とタバコを詰める口だけ金属で、途中のほとんどが竹製であることに由来する。
行為自体は違法だが、ネーミングセンスはなかなか味があると思う。現在ではほとんど見かけないが、時代劇で女性がキセルをくゆらせたり、吸い殻を煙草盆にポンッとたたくシーンはしばしば見られるので、日本文化に興味があるなら知っておいて損はないと思う。
タバコについては、現在ではほとんどが「吸う/吸わない」と呼ぶが、しばらく前は「飲む/飲まない」といい、近世の文書には「給(た)べる/給(た)べない」という表現も見られた。
それはともかく「フリーライド問題」を日本語ならではの捻りを加えて「薩摩守問題」と呼ぶのはいかがだろう。
一方「バブル」についてはすでに以下のように先達が指摘するところである。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし
出典:http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/hojoki/hojoki1.htm
「うたかた」が長期にわたって続くことはないと、世の無常を説いた有名な一節である。「うたかた」は漢字で「泡沫」と書き、同時に「ホウマツ」とも読む。これを英語にしたのが「バブル」(泡、あぶく)であり、「バブル」とは儚いものであると数百年前の日本人が見抜いていたことになる。NTT株の売買で得た利益はまさに二重の意味で「あぶく銭」だったわけだ。
損失を被った立場からいえば、「濡れ手に粟」を目論んだつもりが、おなじアワでも「泡」のほうだったということでもある。