一、可相渡と申城、其案内*1を待候事ハ無分別*2候、手前之はかをやり*3、其城〻押懸候ハヽ、早速ニ可相渡候間、跡*4ニ念を不入、末/\相済候様ニ急へき事、
一、佐竹*5手前も*6城共可相渡由候、早〻入相*7城共急度可請取候、奥州迄道筋明*8候様ニ、急可仕候事
(書き下し文)
一、相渡すべきと申す城、その案内を待ち候ことは無分別候、手前の捗を遣り、その城〻へ押し懸けそうらえば、早速に相渡すべく候あいだ、跡に念を入れず、すえずえ相済み候ように急ぐべきこと、
一、佐竹手前も城とも相渡すべきよしに候、早々入りあい、城ともきっと請け取るべく候、奥州まで道筋明け候ように、急ぎ仕るべく候こと、
(大意)
一、「お渡しします」と相手が言う城について、先方の取次が到着するのを待っているような受け身の態度は実に愚かしいことである。ノルマを達成すべく、軍勢で押し寄せ威嚇すれば、さっさと明け渡すことだろう。ひとつの城に時間をかけず、下々の手に委ね次の軍事目標へ急ぎなさい。
一、常陸国主の義重が自分も城を明け渡す用意があると言っているらしい。さっさと合流して城を請け取りなさい。また佐竹にも奥州への軍役を課すように、急がせなさい。
図. 常陸太田城周辺図
前回に続いて浅野長吉・木村常陸介にあてて城受け渡しに時間をかけず、ノルマ達成を促す内容となっている。
さて「奥州まで道筋明け候ように、急ぎ仕るべく候こと」という秀吉の要求は、佐竹家中からみれば「際限なき軍役」軍役だった。
『茨城県史近世編』37~40頁はこれを「絶え間ない軍役」として紹介している。また義重の跡を継いだ義宣も後年「只今の御軍役、上様*9よりきふく*10仰せ付けられ」とその時の危機的状況を回顧している*11。結局それを負担する百姓らの欠落を招き、常陸国の田畠は荒れるにまかせることになる。