今回読んでいく文書はかなりの長文なので数回に分けることにした。
(追伸部分)*1
一昨日十日書状、今日十二日巳刻*2到来候、下総国*3之内とけ*4・東金*5両城請取旨、得其心候事、
一、請取候城之普請申付由、如何存候、被持候城共さへ渡し候間、普請ハ不入事候条、はかの行候様ニ*6、城請取次第ニ、留主居ニ相渡、其末/\へ可相動候、城悪候とも、せめ*7候ものハ有間敷候事、
一、破却之城*8之儀ハ塀をおろし、城中家さへ無之候へハ相済事候間、破にをよハす候、手間を入間敷候事、
(四、3205号)
(書き下し文)
(追伸部分)
一昨日十日の書状、今日十二日巳の刻に到来候、上総国のうち土気・東金両城請け取る旨、その心を得候こと、
一、請け取り候城の普請申し付くる由、いかがに存じ候、持たれ候城どもさえ渡し候あいだ、普請は入らざることに候条、捗の行き候ように、城請け取り次第に、留主居に相渡し、その末々へ相動かすべく候、城悪く候とも、責め候ものは有るまじく候こと、
一、破却の城の儀は塀を下ろし、城中家さえこれなくそうらえば相済むことに候あいだ、破るに及ばず候、手間を入るまじく候こと、
(大意)
(追伸部分)
一昨日付の書翰、本日巳の刻に受け取った。上総国山辺郡土気・東金両城を請け取るとのこと、その旨承知した。
一、請け取った城の普請を家臣たちに命じた件だがいかがなものだろうか。敵が持つ城さえこちらに渡しさえすれば、普請は不要のことなので、軍事行動が捗るよう請け取ったらすぐに留守居を置き、家臣や末端の者に委せるようにしなさい。城のつくりが杜撰でも留守居の者を責めてはいけない責める者は誰もいない。
一、破却する城は塀を下ろし、家屋敷など寝泊まりする場所さえなくしてしまえば機能不全に陥るので、完全に破却する必要はない。手間暇かけずに破城すること。
図. 土気・東金両城周辺図
追伸部分は特に説明は不要と思うので、「一つ書き」(ひとつがき)の部分へ入っていく。
一つ目は、浅野長吉・木村常陸介両名の土気・東金両城の請け取りに関する考え方に疑問を呈するところからはじまる。城の受け渡しさえ済めばあとは家臣たちに任せて、すぐに次の軍事行動に移れと述べている。これまで見たように秀吉は城受け渡しの際に兵粮や武具の調査を命じているが、武装解除したあとは次の攻撃目標に取りかかるよう記している。政治的・軍事的な意味において城受け渡しが武装解除の象徴として重要な役割を持つ一方、戦争目的が北条領国や東国支配に向けられている以上そこにいつまでも留まっている余裕はない、そういうことなのだろう。
二つ目も同様に破城を必要最小限に留めるべきだと命じている。逆に言えば「家」、つまり宿さえなくしてしまえば、兵員の収容能力が失われ、城の軍事的機能が失われると考えていたのかもしれない。
*1:日本では冒頭に追伸部分を書く様式が採用された。いきなり「以上」だけで始まる例が多いのもこのため
*2:みのこく、午前10時頃。当時は日の出から日の入りまでと、日の入りから日の出までをそれぞれ6等分する不定時法を採用していたので、季節により長さは異なる。「秋の夜長」は現在では完全な詐欺だが、不定時法では秋の夜は文字通り長くなる。こうした季節により時間が変わる観念はキリスト教世界にもあったらしく、「神の領域」である時間差によって利益を得る「利子」や「利息」は人間が神の領域を侵す行為と位置づけられていた。「タイパ」など追求しようものなら、「清貧」を旨とする神のご意思に背く大罪である
*3:「上総」の誤り
*4:山辺郡土気。下図参照。ちなみに現在土気周辺は千葉市に属するが、千葉市の大半が下総国に属するのに対して、土気付近は上総国である。横浜市が武蔵国と相模国のヌエ的存在であるのと同様、東京市をはじめ政令指定都市の宿命である
*5:同郡
*6:「捗が行く」=進捗する
*7:責め=責任
*8:廃城すること