日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正18年5月12日浅野長吉・木村常陸介宛豊臣秀吉朱印状写(3)

 

 

 

一、城〻兵粮在之*1迄念を入穿鑿*2仕由、不入儀ニ候、城中ニ無之候ハヽ其分*3ニ仕候て可置*4事、

 

一、在〻夏麦*5事ハ、其城〻留守ニ相残候者二申付、何方へも不可納所旨、百姓共ニ申触押置*6、重而以一書可得御意*7候、皆共奉行大勢在〻へ入こミ候て穿鑿候ハヽ、非分も可有之候、百姓も可迷惑*8間、在〻へ人を遣、兵粮之仕明*9可為無用*10候事、

 

(書き下し文)

 

 

一、城々兵粮これあるまで念を入れ穿鑿仕る由、入らざる儀に候、城中にこれなくそうらわばその分に仕り候て置くべきこと、

 

一、在々夏麦のことは、その城々留守に相残り候者に申し付け、いずかたへも納所すべからざる旨、百姓どもに申し触れ押さえ置き、かさねて一書をもって御意を得べく候、皆ともに奉行大勢在々へ入り込み候て穿鑿そうらわば、非分もこれあるべく候、百姓も迷惑すべく候あいだ、在々へ人を遣わし、兵粮の仕明無用たるべく候こと、

 

 

(大意)

 

一、各城の兵粮を入念に蓄え、調べ尽くしているそうだが、それは無駄で不要なことである。各城のもともとの蓄えが少ないのならば、その状態に甘んじ放置しておきなさい。

 

 

一、各郷村の夏麦については、各城の留主居に委ね、相手が誰であろうと納めてはならない旨、百姓たちに周知徹底しなさい。二度手間になるが書面をもって私関白様のご判断を仰ぐように。奉行が各郷村へ多数で押しかけ調べ尽くすことになれば、彼ら奉行たちが百姓らに非分の振舞をしかねない。そうした行為は百姓たちを困惑させるだけなので、各郷村へ立ち入りその分け前に与ることは堅く禁ずる。

 

 

 

 

一条目はこれまで同様浅野長吉、木村常陸介の城受け渡しが慎重すぎる、もっと要領よく/効率的にやるようにという趣旨である。請け取った城に備蓄されている兵粮が足りなければ足りないで、補給することなく現状に甘んじなさい、と命じている。

 

 

二条目は鎌倉幕府法以来の「麦に地頭が年貢を課すことを禁ずる」という伝統を受け継いだものである。だからといって地頭が黙っているわけはなく、時には「ミミヲキリ、ハナヲソギ」といった苛斂誅求を極めることもある*11。ただ秀吉は朝鮮出兵時この原則を破り「田麦徴収令」を発する挙に出る。

 

これらのことから当時刈り取ったあとの水田に、麦を冬に蒔き夏に収穫する二毛作が普及していたことがうかがえる。ただこうした連作は土壌を痩せさせるため肥料で補う必要がある。肥沃な土壌、たとえばチェルノーゼム(黒土地帯)のように放置していても勝手に麦が育つという伝承があるところと同じではない。検地帳に「あれ」という記載を見かけるが「荒廃した」というよりは「休耕地」に近い。休耕地が荒れ放題になるのも事実だが。

 

(追記)

 

長い間「貧乏人は麦を食え」的発想が強く、麦飯を「臭い飯」と軽視してきた歴史がある。戦後の農業政策が食管法に基づく「逆ざや」(バックマージン)方式を採って米作を重視してきたのもこのためである。しかし国民がパン食に傾くとこの政策が裏目に出て、財政を圧迫し、倉庫に米が積み上がる「古米」「古古米」問題となった。パンは小麦で出来ているので、「伝統的」な価値観から言えば「貧乏くさい」生活スタイルになるが、そこは気にならなかったらしい。テレビドラマに登場するアメリカの「ミドルクラス」*12の生活スタイルがかつては日本人にとって「憧れの生活スタイル」でもあった。アメリカで「昼メロ」を「ソープオペラ」と呼ぶが主婦層をターゲットにした、洗剤メーカーがスポンサーになったことに由来する。日本で「昼メロ」のスポンサーに洗剤メーカーが名を連ねているのもこれとけっして無縁ではなかろう。七面鳥(ターキー=かつてのトルコの英語名)を焼く火力の強いオーブンなどは普及しなかったものの…

 

 

 

*1:「在る」という言葉は今日では「存在する」、つまりbe/sein動詞的な意味合いが強いが、持っている、所有するのような意味で用いていた。ここでは「請け取った各城の兵粮米を確保する」意味

*2:今では「穿鑿好き」というようにネガティブに用いられることが多いが「批判」同様良し悪しを吟味するという意味

*3:「分相応」の「分」と同様にその置かれた環境に応じて、身の程といった意味

*4:「置く」は現状を変更しないという意味

*5:稲を収穫した後の水田に蒔かれる冬蒔き小麦で夏に収穫される。5月は真夏に当たる。鎌倉幕府法は麦に年貢を課す地頭の行為を禁じている。朝鮮出兵後秀吉はこの方針を捨て去り「田麦徴収令」を発した

*6:おさえおき。念には念を入れて

*7:秀吉の判断

*8:迷惑は読んで字のごとく「迷い惑う」=困惑するの意味で意図的に嫌がらせするハラスメントのような意味ではない

*9:仕分け

*10:「天地無用」同様に「禁止」を意味する

*11:「ミミヲキリ…」については実際に「耳を切り、鼻を削ぐ」行為に及んだかは不明

*12:中産階級であり「中流」ではない