③一、国中麦年貢*1之儀、御検地*2之上を以三分二召置*3、三分一ハ百姓ニ可遣之旨被仰出候*4、雖然諸百性迷惑*5之躰見及候条在之、其立毛*6之上ニて百性共堪忍続候様*7可申付事、
④一、在〻出置候上使*8之者、対百性ニ非分之儀於申懸者、以目安可直訴事、付り、麦年貢納取代官之外ニ何〻*9諸役申付者共、慥之墨付*10無之候ハ、其在所之代官*11へ引合*12其上を以諸役可相調*13事、
(書き下し文)
③一、国中麦年貢の儀、御検地の上をもって三分二召し置き、三分一は百姓にこれを遣わすべき旨仰せ出され候、しかりといえども諸百性迷惑のてい見及び候条これあり、その立毛の上にて百性ども堪忍続き候よう申し付くべきこと、
④一、在〻出し置き候上使の者、百性に対し非分の儀申し懸くるにおいては、目安をもって直訴すべきこと、つけたり、麦年貢納め取る代官のほかに何〻諸役申し付く者ども、たしかの墨付これなくそうらわば、その在所の代官へ引き合わせ、その上をもって諸役相調うべきこと、
(大意)
③一、肥後国の麦年貢について、検地をしたさい三分の二を徴収し、三分の一は百姓に遣わすようにとの秀吉様が仰せになりました。しかしながら諸百姓が困窮している様子が見て取れますので、実際の実り具合を検分した上で百姓たちが生活できるよう申し付けるようにしてください。
④一、各郷村に派遣した使者のうち、百姓に対して不当な言いがかりをつける者があれば書面をもって直訴させるようにしてください。つけたり、麦年貢を納め取る代官のほかに様々な理由を付けて諸役を吹っ掛ける者がいても、確実な書面を携えていなければ、その地域の代官に照会したうえで諸役の用意をさせるようにしてください。
閏5月は「麦秋」*14つまり麦の収穫時期であり、また田植えの時期である。③の麦年貢とはこの麦に課す年貢である。秀吉はこの時点で「麦年貢」と具体的に言及していないので、この部分は清正のオリジナルである。検地の際の秀吉の命を引用しつつ、百姓の生活が成り立つように配慮せよと述べている。なお秀吉は慶長2年二度目の出兵直後、前田玄以を通じて諸国に田方の麦年貢は3分の1を上限とする旨触れている*15。
④では不当な要求をする代官が現れても、書面を確かめたり、代官に照会したりして間違いの無いよう命じている。直訴は、苛斂誅求をきわめている地頭当人へ訴え出ても当然握りつぶされるだけなので、その地頭の上級権力者に訴え出る手段を認めたわけであるが、これは徳川期にも引き継がれ「代官衆の儀非分これあるにおいては、届けなしに直目安申し上ぐべきこと」*16との触が発せられている。ここでも「届けなしに」とその地頭当人へ断ることなく直訴させるよう述べている。直訴を「堅く御法度」としながらも、である。
なお閏5月14日付清正書状によれば、北里政義らは国衆一揆に加わった下城右近を唐津にて誅殺し、さらに6月7日付書状において豊後日田に隠居していた下城伊賀を討ち、頸5つが清正のもとへ届けられたと記されている。北里と下城の位置関係は下図の通りである。
Fig. 肥後国阿蘇郡小国郷北里と下城
*1:麦の収穫時期「麦秋」は陰暦5月
*2:秀吉が清正や福島正則らに行わせた肥後検地
*3:「召す」は尊敬語。「召し置く」で「お取り上げになる」。「お召し物」は「お着物」の意
*4:「仰せ出す」の主語は秀吉
*5:「迷い惑う」の文字通り「困惑する」、「困窮する」の意
*6:実り具合
*7:生活できるように
*8:ジョウシ。加藤清正から各郷村へ派遣した使者
*9:「仰之」と読むものもあるが原文書を見られないのでここでは立ち入らない
*10:偽造していない正真正銘の清正発給文書
*11:すぐ前の「麦年貢納め取る代官」のこと
*12:照合して、確認して
*13:ととのえ=揃える、過不足な用意する。「調」で「みつぎ」とも読み、神や王などへの「供給物」(「キョウキュウブツ」ではなく「たてまつりもの」と読む)の意味もある
*14:「秋」は季節としての秋、つまり7~9月を指すことが多いが、「収穫時期」の意味もあり、「麦秋」の「秋」は後者の意味で「初夏」のこと。「秋」にはへんとつくりが左右反対の異体字「秌」がありU79CCとして登録されている。なお天正16年閏5月6日はユリウス暦1588年5月20日、グレゴリオ暦で5月30日にあたる
*15:慶長2年4月12日前田玄以折紙
*16:慶長8年(1603)3月27日内藤清成・青山忠成連署覚