覚
一ⓐ、伴天連門徒之儀ハ、其者之可為心次第事、
一ⓑ、国郡在所を御扶持ニ被遣候を、其知行中之寺庵*1百姓已下を心さしも無之所、押而*2給人*3伴天連門徒可成由申、理不尽成候段曲事候事、
一ⓒ、其国郡知行之義、給人被下候事ハ当座*4之儀ニ候、給人ハかはり候といへ共、百姓ハ不替もの候条、理不尽之義何かに付て於有之ハ給人を曲事可被仰付候間、可成其意候事、
一ⓓ、弐百町・二三千貫ゟ上之者*5、伴天連*6ニ成候ニおゐてハ、奉得(闕字)公儀御意次第*7成可申事、
一ⓔ、右之知行より下を取候者ハ、八宗九宗*8之義候条、其主一人宛ハ*9心次第可成事、
一ⓕ、伴天連門徒之儀ハ、一向宗ゟも外ニ申合候由被聞召候、
(以下次回)
(三、2243号)(書き下し文)覚
一ⓐ、伴天連門徒の儀は、その者の心次第たるべきこと、
一ⓑ、国郡在所を御扶持に遣わされ候を、その知行中の寺庵・百姓以下を志しもこれなきところ、おして給人伴天連門徒なるべきよし申し、理不尽なり候段曲事に候こと、
一ⓒ、その国郡知行の義、給人下され候ことは当座の儀に候、給人は替わり候といえども、百姓は替わらざるものに候条、理不尽の義何かにつけてこれあるにおいては給人を曲事仰せ付けらるべく候あいだ、その意をなすべく候こと、
一ⓓ、弐百町・二三千貫より上の者、伴天連になり候においては、公儀御意を得奉り次第なり申すべきこと、
一ⓔ、右の知行より下を取り候者は、八宗九宗の義に候条、その主一人ずつは心次第なるべきこと、
一ⓕ、伴天連門徒の儀は、一向宗ゟも外に申し合わせ候よし聞し召され候、
一向宗その国郡に寺内をして、給人へ年貢成さず、ならびに加賀国一国門徒に成り候て、国主の富樫を追い出し、一向宗の坊主もとへ知行せしめ、その上越前まで取り候て、天下の障りに成り候儀、その隠れなく候こと、(大意)覚え書き一ⓐ、伴天連の門徒になることは、それぞれが決めることである。
一ⓑ、扶持された国・郡・郷村の、その領地内の寺庵や百姓以下をその気もないのに強制的に給人が伴天連の門徒なりなさいと迫ることは、理不尽なことで曲事である。
一ⓒ、その国・郡を知行する件について。給人に土地を与えられるのは当座のことである。給人が所替えとなることはあるが、百姓はそこに替わらず住む者であるので、理不尽なことを百姓らに申し付けるようなことがあれば、給人の曲事とするのでよく心得るように。
一ⓓ、200町または2~3,000貫文以上の知行を与えられた者がキリシタン門徒になるには、公儀のご意思を得た上で改宗すること。
参考のため町数で知行を与えられた者と天正11年の貫高で知行を与えられた者を掲げておく。
Table. 九州領主知行町数 および美濃国貫高
一ⓔ、右より小身の者は、どの宗派を選ぼうと自由であるのでそれぞれが決めるべきことである。
一ⓕ、キリシタン信徒は、一向宗よりも外側と談合すると耳にしている。
一向宗はそれぞれ国郡において寺内町を形成し武装して、給人へ年貢納めず、その上加賀国一国が一向宗門徒となり、守護の富樫を追い出し、一向宗の坊主に支配させ、さらに越前まで奪い、天下の障りになったことは明白である。
以上五ヶ条を見る限りにおいては、給人に対して支配のあり方を説いたこれまでの文書となんら変わるところはない。キリシタン関係で問題とされているのは給人が領内の百姓などに強制的に改宗を迫ることで、当人の心次第とすべしと命じている点である。キリシタン大名の領内政策として問題視されているのである。
これまでも秀吉は、給人が百姓らに無理難題を押し付けてはならないと命じている。
japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com
給人による恣意的支配の排除の延長線上で理解すべきであろう。
ⓒでは「給人は当座、百姓は替わらざる者」と謳われており、翌日付文書でも「国郡・在所、知行など給人に下され候儀は当座のことに候」*14と繰り返されているので豊臣政権の基本方針と見てよさそうである。
ⓓでは200町または2~3,000貫以上の給人は「公儀」の、つまり秀吉の許可を得てから改宗せよと、ⓔではそれより小身の者は自由であると述べている。
ここで問題とされているのは給人による強制的改宗で、前回の①「なぜイエズス会宣教師が強制的に改宗を迫るのか」と詰問したのとは趣旨が異なる。ただし翌日発給文書では強制的に改宗させているのはバテレンであると言外に匂わせ、神社仏閣を破壊する*15とは「前代未聞」であると述べている*16のでイエズス会に申し渡した文書は19日付のものだろう。
ⓕではキリシタン信徒の団結する範囲が一向宗のそれを越えるという噂を聞いているとし、一向宗が加賀一国を手中に収め、さらに越前までうかがう勢いで「天下の障り」になったことは明白であると断じている。「天下の障り」とはもちろん秀吉流のレトリックで、天下人たらん秀吉にとっての「障り」という意味である。年貢を納めず、その上知行充行の独占を妨げる一向宗を超える脅威と秀吉に映ったキリシタンは目障り極まりない存在だったようだ。
*1:在所にある小規模の寺
*2:強引に、強制的に
*3:秀吉から知行を与えられた者、「地頭」ともいう
*4:いっときの、当分の間
*5:町数のわかるものを下表に掲げた
*6:ここではキリシタン門徒
*7:秀吉の意思を「公儀」としている
*8:八宗に禅宗を加えて九宗、ここではあらゆる宗教
*9:「その主」の意味が取りづらいが「各自は」くらいの意か
*10:周囲に堀や土塀を巡らして自治的特権を主張する寺内町
*11:加賀国守護の富樫氏
*12:支配させ。知行している土地からは年貢などを徴収することができる
*13:障り
*14:2244号
*15:前回の②
*16:「その国郡の者を近付け門徒となし、神社仏閣を打ち破るのよし、前代未聞に候」2244号