一①、豊後国者、大友左兵衛*1ニ一職ニ出候間、置目等左兵衛為ニ可然様ニイタシ候テ可出事、
一②、肥後・筑後・筑前三箇国者城ヲ拵、物主*2ソレヽヽ被仰付被入置、博多之近所ニ御座所*3可被仰付候条、其方*4者備前少将*5・宮部中務法印*6・蜂須賀阿波守*7・尾藤甚右衛門*8・黒田勘解由*9、右之者トモトシテ、日向・大隅・豊後城普請可申付候、并不入城者ワラセ可然事、
(書き下し文)
一①、豊後国は、大友左兵衛に一職に出だし候あいだ、置目など左兵衛ために然るべきように致し候て出すべきこと、
一②、肥後・筑後・筑前三ヶ国は城を拵え、物主それぞれ仰せ付けられ入れ置かれ、博多の近所に御座所仰せ付けらるべく候条、そのほうは備前少将・宮部中務法印・蜂須賀阿波守・尾藤甚右衛門・黒田勘解由、右の者供として、日向・大隅・豊後城普請申し付くべく候、ならびに入らざる城は割らせ然るべきこと、
(大意)
一①、豊後は大友義統に一円与えるので、掟など義統のためになるように定めなさい。
一②、肥後・筑後・筑前の三ヶ国は城を建て、城主を定め配置し、博多付近に御座所を設けるようにしたので、そなたは宇喜多秀家・宮部継潤・蜂須賀家政・尾藤知宣・黒田孝高を従者として、日向・大隅・豊後の城普請を命じるようにしなさい。また不要な城は破却するように。
Fig. 九州九ヶ国および対馬・壱岐
①では豊後一円を大友義統に与え、そのための「置目」は秀長が定めるよう命じている。国は一円的に与えるが法令は豊臣政権が定めるという意味である。すなわち大名の土地に関する権利は無制限ではなく、大名は国を預かるに過ぎない存在ということである。秀吉はこれまでに家臣に土地を充てがう際に「年貢率は6割で」と記していたが、年貢率や法令を定めるのは本来与えられた家臣の権限である。豊臣政権はこれに介入しており、その集権的=パターナリスティック的構造を象徴している。これは分国法の否定をも意味し、法体系における「惣無事」政策といえる。
また通常「一職」とは様々に分化した権限を集中=一元化するという意味で使われることが多い*10。しかしここでは「置目」の制定権は剥奪されているので、空間的にまとまった=「一円的な」という意味に解した。
②では秀吉が筑前・筑後・肥後の仕置をするために博多の近くに宿所を建てたので、秀長は重立った者を連れて豊後・日向・大隅の仕置を行うようにと命じている。さらに不要な城は破却するように命じている。この城割は徳川政権において一層徹底される。