日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

元和3年1月藤堂高虎御家中御条目を読む(部分) 百姓逃散の「防止」

 

一、知行*1之物成*2、百姓遣*3、奉行共*4如書付*5可仕、若背法度*6百姓はしら

  せ*7候は、知行を取上、物成にて可相渡*8之間、其時述懐*9に存間敷事、

   付山公事*10百姓出入*11有之候ハゝ、奉行共次第ニ*12可仕候、

   其*13給人*14指出間敷事、

 

(書き下し文)

ひとつ、知行の物成、百姓遣い、奉行ともに書付のごとく仕るべし、もし法度に背き、百姓走らせそうらわば、知行を取り上げ、物成にてあい渡すべきのあいだ、そのとき述懐に存ずまじきこと、つけたり、山公事・百姓出入これありそうらわば、奉行とも次第に仕るべく候、その給人指し出すまじきこと、

(大意)

ひとつ、知行を与えられた者の年貢や小物成、百姓の使役は主君に命じられたことと同様に、決まりの通りに行いなさい。もし法度に背くような過重な負担を負わせて百姓が逃散した場合は知行地を取り上げ、物成だけをわたすので、そのときになってから不満を言ってはならない。つけたり、山公事や百姓同士の紛争が起きた時は、主君に命じられたとおりにしなさい。給人を現場に派遣させてはならない。

 

慶長14年の「定条〻」において百姓が逃散しないように、知行地を与えた家臣に対して、百姓に青天井の負担を課すことを禁じているが、8年経っても状況は改善されなかったのだろう。同じ趣旨の条目を発している。

 

文意がややわかりにくいところも多いが、ここでも藤堂高虎の家臣が与えられた封土で百姓に過重な負担を強い、その結果として百姓が逃散することのないように命じたことは明らかである。逆に言えば逃散しない程度に負担を課すことは認められていることになる。逃散した場合でも罰則はほぼ現状維持であるように、かなり甘い。

 

また「つけたり」で百姓同士の紛争に介入することも命じている。百姓らが自力に訴えることを防ぐ意味があるのだろう。

 

*1:主君から与えられた封土、ここではそれを与えられた家臣を指す

*2:年貢と小物成

*3:百姓を使役すること

*4:主君の命を奉じてことを執行すること。ここでは地頭として百姓に課す負担のほかに、藤堂家からの命に応じて負担させる課役

*5:紙に書かれたもの、文書、慶長14年8月28日の「定条〻」『大日本史料』12編、6巻、586頁 

https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/1206/0585?m=all&s=0585

*6:法度に背くのは「知行」する者、つまり給人、地頭

*7:走らせ

*8:封土を取り上げて、年貢や小物成だけを渡すこと。地頭として土地を経営する主体性が失われる

*9:不平不満を言うこと、恨み言を言うこと

*10:「公事」は訴訟の意。「山公事」で山野の利用や境界に関する訴訟

*11:紛争の意

*12:正当な手続きにのっとって。「奉行共」とあることから主君に命じられたことと同じ手続きを踏んでの意

*13:「知行」を指す

*14:「知行」の給人、陪臣