日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正13年11月21日豊臣秀吉足さすり等掟

 

(見せ消ちは取り消し線で示す)

 

     おきて

一、足さすり*1候とき、いたか*2なるてい*3をし候物ニおいてハ、ふちふち*4十石かへさせ可申事、

一、ゆとの*5うらへのともはん*6かわりたる可候事

一、秀吉・お祢ゝ*7ニくちこたへ*8候ハヽ、いちにち一やはしり*9可申事、

    以上、

 天正十三年十一月廿一日 てんか*10

 

『秀吉文書集二』1757号、289頁
 
 
(書き下し文)
 

     おきて

一、足摩り候とき、居高なる躰をし候者においては、扶持扶持十石替えさせ申すべきこと、

一、湯殿裏への供番替わりたるべく候こと、

一、秀吉・おねねに口答えそうらわば、一日一夜走申すべきこと、

   以上、

 

(大意)
 
         掟
一、足を摩るとき、態度の大きいものは扶持米十石取り上げること。
一、湯殿の奥への供番は交代すること。
一、秀吉やおねねに口答えする者は一日一夜走りすること。
以上。
 

 

 「おきて」を「おもて」と書き間違えたり、下線部のように「可」(べし)を動詞の後に置く文法的な誤りが見られたり、「扶持扶持」のような繰り返しが見られ、よくいえば「かわいい」し、悪し様に言えば稚拙である。秀吉正室の高台院も、本文書では「おねゝ(踊り字)」と書かれている。

 

 

態度の大きいものや口答えする者は「軽め」(?)の処分を言い渡すということで、ずいぶんと細かいことを書面にしている。秀吉が自敬表現を使いはじめた年でもあるので、出自を意識し出したのかも知れない。

 

三条目は「口答えした者はグランド10周!」という1970年代のスポ根や青春ドラマそのままでなんとも微笑ましい。

  一晩中縛られるので「軽い」処罰といえるかは微妙である。

 

 
訂正 2021年9月13日

 

「一夜はしり」でなく「一夜しはり」つまり「一夜縛り」の誤りでした。一晩中縛り付けておくの意味に訂正して、お詫び申し上げますm(__)m。

 

 

 

 

*1:摩る、こする

*2:居高

*3:

*4:扶持

*5:湯殿、飲用の湯を常備している浴室

*6:供番。秀吉に近侍して陪席する者。数番に分かれ番頭の指揮下にあった

*7:「おねね」、秀吉正室高台院

*8:口答え

*9:「しはり」をブログ主が誤写しました。「縛り」です。一日一夜走、日中と一晩中走る体罰?

*10:秀吉。「天下」なのか「殿下」なのかは措く