前回、宮川満氏により翻刻された史料集をもとに以下のように述べた。
「おころ彦三郎」らが、土豪の井戸村与六に「御検地の面々名付け仕り、指出仕り候とも何時によらず召し上げられ候とも、一言の子細申すまじく候」(検地帳に名請人として記載され、それを領主に差し出したとしても、いつ召し上げられてもひと言も申し分はございません)としたため(させられ)ている
この最後の「したため(させられ)ている」というのは事実と若干異なるようである。峰岸純夫氏は「検地と土豪・農民」*1で、この「作職請状」がどのようにしてなったのか、ドラマ仕立てで以下のように描いている。
そう言いながら八郎右衛門はさらさらと一通の文書を相手の前に広げた。表書きには「天正十九年、井戸村与六様」と書かれ、なかには、数日にわたって調べあげたおころ彦三郎以下二六名の小作地の明細が書きあげられ、その下に署名と押判をすればよいばかりになっていた。
上掲書235頁、下線部は引用者
つまり、あらかじめ記載された文書に署名するだけだったという。さいわい宮川史料集の口絵には「作職請状」の写真が一部だが掲載されているので、確認しておこう。
Fig 近江国箕浦村おころ彦三郎等作職請状の写真
①「おころ 彦三郎(略押)」・・・おころ彦三郎が与六より「作職」を扶持された土地は以下の通りである。
②「以上」 ・・・以上が「おころ彦三郎」分である
③「衛門太郎(略押)」
④「此使(この使い) 八郎右衛門(花押)」*2
⑤「井戸村与六様」
青で示したアとイは「筆軸印」と呼ばれる略式の意思表示方法であり、ウの立派な花押とは好対照をなす。本文も名前もしっかりした文字でしたためられており、こちらも略式の印に似つかわしくない。やはり、八郎右衛門によってあらかじめ書きあげられた書面に押印するだけだったようだ。
ここに翻刻にのみ頼る罠が潜んでいる。翻刻はくずし字を活字にすると同時に多くの情報を捨象するのだ。昨今メディアが盛んにAIによる自動翻刻の話題を採り上げているが、多くの事実誤認や過大評価とともに、こうした重要な情報を削ぎ落とす致命的な欠陥に触れていないのは問題である。歴史学やアーカイブズ学への皮相な理解をそこに嗅ぎ取るのは当ブログだけではなかろう。
ブログ主にとって、おころ彦三郎と井戸村与六という人名は印象深いものがある。語呂の良さも手伝っているのだろうが、はじめて歴史学の講義を受けたときに読まされた史料の登場人物だったからである。様々な人名が登場する中近世移行期において、井戸村与六やおころ彦三郎らが歴史的に重要な人物であることは疑いないであろう。
これは蛇足だが、峰岸氏の執筆部分のみ上述したように脚本風に井戸村家とその周縁に位置する被官百姓や下人たちの歴史がわかりやすく描かれている。70年代のものだけに今日的には問題もあるが、「物語」そのものはとても興味深い。ステレオタイプの百姓像に食傷気味の方は図書館などで閲覧されることをお勧めする。