日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正6年3月15日中島吉衞門尉外宛羽柴秀吉知行宛行状

    於作州*1知行分之事

一、高野郷*2         参百貫文

一、林田*3広野*4地頭領家   合三百貫文

一、南方           弐百貫文

一、田中           百五拾貫文

一、新野           弐百貫文

右都合千百五拾貫文、為本地*5之上者、不可有相違候、但先判*6相除之、全可有知行候、弥可被抽忠節候事肝要也、仍如件、

   天正

     三月十五日       秀吉(花押)

      中島吉衛門尉殿*7

      同右兵衛尉殿

      同市内丞殿

                                                                 「一、163号、55頁」

(書き下し文)

 

    作州において知行分のこと

一、高野郷        参百貫文

一、林田広野地頭領家   合三百貫文

一、南方         弐百貫文

一、田中         百五拾貫文

一、新野         弐百貫文

右都合千百五拾貫文、本地たるのうえは、相違あるべからず候、ただし先判これを相除き、まったく知行あるべく候、いよいよ忠節ぬくんずらるべく候こと肝要なり、よってくだんのごとし、

   

(大意)

    美作国において次の通り知行を宛行う

一、高野郷            300貫文

一、林田、広野、地頭、領家*8   合せて300貫文

一、南方             200貫文

一、田中             150貫文

一、新野             200貫文

右の通り合計1150貫文本領安堵するので、相違ないように。ただし先に発給した文書の分は除くものとする。今後も忠節をつくすように。

 Fig1. 美作知行充行状周辺図

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                 『日本歷史地名大系』岡山県より作成

Fig.2 美作国概念図

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                  『国史大辞典』「美作国」より

単位が石高でなく貫高であることから検地を行ったうえでの宛行でなく、中島一族からの自己申告をそのまま認めたものであろう。

 

*1:美作国

*2:苫東郡、図参照

*3:ハイダ:苫東郡

*4:勝田郡

*5:本領として

*6:先に発給した判物:未詳

*7:未詳

*8:「地頭」、「領家」(荘園領主)は下地中分した結果空間的に分離された土地を表しているものと考えられる