日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正16年6月21日木食応其・寺沢広政宛豊臣秀吉朱印状

 

大仏殿*1大工*2并杣*3大鋸*4事、和州・紀州・江州・伊州・丹州五ヶ国*5、能〻相改可召仕候、殊其身者不能出、下手*6大工を為代出之輩可為曲事候、若無沙汰族*7於在之者、為身懲*8候条、堅可被仰付候、然者給人*9夫役*10事、最前如被仰出候*11、諸役*12有之間敷候条、猶以右通可申聞候、自然召仕諸役懸候者、給人之名を可書付上候、入念悉召寄、作事可指急候也、

 

     六月廿一日*13(朱印)

        木食上人*14

        寺沢越中守とのへ*15

(三、2536号)

 

 

(書き下し文)

 

大仏殿大工ならびに杣、大鋸のこと、和州・紀州・江州・伊州・丹州五ヶ国、よくよく相改め召し仕うべく候、ことにその身は出るにあたわず、下手大工を代わりとしてこれを出す輩曲事たるべく候、もし無沙汰の族これあるにおいては、身懲らしとなし候条、かたく仰せ付けらるべく候、しからば給人夫役のこと、最前仰せ出され候ごとく、諸役これあるまじく候条、なおもって右の通り申し聞かすべく候、自然召し仕え諸役懸かりそうらわば、給人の名を書き付け上ぐべく候、入念ことごとく召し寄せ、作事指し急ぐべく候なり、

 

 

(大意)

 

方広寺大仏殿建立のための大工、杣人、大鋸について、大和、紀伊、近江、伊賀、丹波五ヶ国をよくよく調べ、召し出すように。特に本人のかわりに素行のよくない大工を代わりとして出す者は曲事とする。もし督励しても無視する者は見せしめとしてきびしく罰するものである。また、給人が百姓に人夫役を懸けることは以前申し触らしたように禁ずるので、その点給人らに申し含めるように。もし召し出した上に諸役を懸ける給人がいたなら、その名を書き記し言上しなさい。念を入れてことごとく徴集し、工事を急がせなさい。

 

 

 

Fig.1 方広寺周辺図

              『日本歷史地名大系 京都府』より作成

Fig.2 大鋸

                     Wikipedia「大鋸」より「三十二番職人歌合」

 

Fig.3 和州・紀州・江州・伊州・丹州五ヶ国

本文書は方広寺建立のために畿内近国5ヶ国から大工や杣人、大鋸などの諸職人を招集するよう木食応其と寺沢広政に命じたものである。

 

「本人」のかわりを差し出すことを禁じているが、そのようなことが広く行われていたことを浮き彫りにしていて興味深い。

 

また下線部のとおり、この役儀を課されたものに他の役を懸ける給人を出さないよう命じている。秀吉家臣は領国経営の経験が少なく、人を酷使する心配があったのだろう。これは検地の原則とも平仄が合う。

 

なお命令系統が秀吉から応其・広政へ、そして「給人」=秀吉家臣たちの二段階になっていることは注意したい。

*1:方広寺の通称、山号はない。図1参照

*2:「大工」は手工業技術者集団の長を指す

*3:ソマ、木樵のこと

*4:オオガまたはダイギリ。二人で挽く大型の鋸。図2参照。鋸の削りかすを「大鋸屑」(おがくず)と呼ぶのはこのため

*5:図3参照

*6:素行のよくない者

*7:下知に従わない者

*8:ミコラシ。見せしめのこと

*9:豊臣大名のこと

*10:給人の領国内の百姓にかける人夫役

*11:天正14年1月19日朱印状

*12:夫役以外の課役

*13:天正16年。グレゴリオ暦1588年8月13日、ユリウス暦同年同月3日

*14:応其

*15:広政