定
一、㋑日本ハ神国たる処、きりしたん国より邪法を授候儀太以*1不可然候事、
一、㋺其国郡之者を近付門徒になし、神社仏閣を打破之由、前代未聞候、国郡在所知行等給人*2に被下候儀者当座之事候、天下よりの御法度を相守、諸事可得其意処、下〻として猥義曲事事、
一、㋩伴天連其知恵之法を以心さし次第ニ檀那を持候と被思召候へハ、如右日域之仏法を相破事曲事候条、伴天連儀、日本之地ニハおかせられ間敷候間、今日より廿日之間ニ用意仕可帰国候、其中に下〻伴天連に不謂族申懸もの在之ハ、曲事たるへき事、
一、㋥黒船*3之儀ハ商買之事候間各別候之条、年月を経、諸事売買いたすへき事、
一、㋭自今以後仏法のさまたけを不成輩ハ商人之儀ハ不及申、いつれにてもきりしたん国より往還くるしからす候事、可成其意事、
已上
天正十五年六月十九日 (発給人・受給人とも欠)
(三、2244号)
(書き下し文)
定
一、㋑日本は神国たるところ、きりしたん国より邪法を授け候儀はなはだもって然るべからず候こと、
一、㋺その国郡の者を近付け門徒になし、神社仏閣を打ち破るの由、前代未聞に候、国郡在所知行など給人に下され候儀は当座のことに候、天下よりの御法度を相守り、諸事その意をうべきところ、下〻として猥りの義曲事のこと、
一、㋩伴天連その知恵の法をもって心さし次第に檀那を持ち候と思し召されそうらえば、右のごとく日域の仏法を相破ること曲事に候条、伴天連儀、日本の地は置かせられまじく候あいだ、今日より廿日の間に用意仕り帰国すべく候、そのうちに下〻伴天連に謂われざる族申し懸る者これあらば、曲事たるべきこと、
一、㋥黒船の儀は商買のことに候あいだ各別に候の条、年月を経、諸事売買致すべきこと、
一、㋭自今以後仏法の妨げを成さざる輩は商人の儀は申すに及ばず、いずれにてもきりしたん国より往還苦しからず候こと、その意をなすべきこと、
已上
(大意)
一、㋑日本は神国であるので、キリシタン国より邪法を持ち込むのはとんでもなく不届きなことである。
一、㋺その国郡の者を近付け門徒とし、神社仏閣を破却すると聞いているが前代未聞のことである。国郡在所知行など給人に与えられているのは当座のことであり、公儀よりの法度を守り、万事怠りなく行うべきである。臣下として秩序を乱すことは曲事である。
一、㋩伴天連その優れた教えにより個人次第で門徒を持つよう考えていたが、以上のように日本の仏法を破壊するような真似は曲事である。よって伴天連たちは、日本の地に留まることは許されない。今日より20日以内に支度をして帰国せよ。その間に下々の者が伴天連に正当な理由のない言いがかりを付けたならその者は曲事とする。
一、㋥黒船往来のことは交易目的であるので特例とするので年月を経てから、万事取引を行うこと。
一、㋭今後仏法の妨げとならない者はもちろん、どのみちキリシタン国よりの往来は問題視しないのでその点よく心得るように。
㋑は「日本は神国」であるので「邪宗」を布教することはけしからんと述べている。最高権力者である秀吉が「邪宗」=「いかがわしい教え」と認定した以上その布教を禁ずるというのは至極当然な流れである。またここで「日本は神国」と述べているが、㋩「仏法を相破る」、㋭「仏法の妨げ」とあるので「仏教国」くらいの意味になる。
㋺は冒頭の「その国郡」の「その」が「給人に充行った」という意味だとすると給人に対しての箇条とも読めるが、間投詞的に使うこともあるのでイエズス会に対する箇条とも読める。ただし続く「当座の儀」や「天下の御法度を相守り」という文言は給人に対するものといえる。
前回のⓗは「国郡または在所を持ち候大名」とするが、後世の写であることから写したころの言葉である「大名」を用いたのだろう。
㋩では20日間の猶予を与えるのでそれまでに帰国せよと命じている。これが「追放令」たる所以であるが、その間国内で乱暴を働く者がいれば処罰すると宣教師たちを保護する旨記しているのは興味深い。「私的な制裁」=自力救済を否定する「惣無事」からは自然に導かれる論理ではある。
㋥の「年月を経」の部分は「いったん帰国したあとほとぼりが冷めたころを見計らって」くらいの意味だろうか。南蛮船の往来は交易目的なので問題ないとする。
㋭は仏教の妨げにならぬのならキリシタン国からの往来は自由であるとする。交易を途絶することは避けたかったようである。
Fig. 中世「日本」の領域
Table. 東インド諸島一覧
註:「I」と「J」が区別されていないので日本を「IAPON」、「IAPAN」などと表記した。同様に「V」で「V」と「U」を表したので、BVLGARI(ブルガリ)、BVNGO(豊後)、AVGVSTVS(アウグストゥス)となる。