日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正15年6月18日(宛所欠)豊臣秀吉朱印状写(いわゆる「禁教令」)(3/止)

 

 

一ⓖ、本願寺門徒、其坊主天満ニ寺*1を立させ、雖免置候、寺内ニ如前〻ニハ不被仰付事

 

一ⓗ、国郡又ハ在所を持候大名、其家中之者共を伴天連門徒押付成候事ハ、本願寺門徒之寺内をたて候よりも不可然義候間、天下之さわり可成候条、其分別無之者ハ、可被加御成敗候事、

 

一ⓘ、伴天連門徒心さし次第ニ下〻成候義ハ、八宗九宗之儀候間、不苦事、

 

一ⓙ、大唐・南蛮*2・高麗へ日本仁を売遣候事可為曲事、付日本ニおいてハ人之売買停止之事、

 

一ⓚ、牛馬を売買、殺し食事、是又可為曲事事、

 

右条〻堅被停止畢、若違犯之族有之者、忽可被処厳科者也、

  天正十五年六月十八日 御朱印*3

      (宛所欠)

(三、2243号)
 
(書き下し文)
 

一ⓖ、本願寺門徒、その坊主天満に寺を立てさせ、免し置き候といえども、寺内に前〻のごとくには仰せ付けられざること

 

一ⓗ、国郡または在所を持ち候大名、その家中の者どもを伴天連門徒押し付けなし候ことは、本願寺門徒の寺内を立て候よりもしかるべからざる義に候あいだ、天下の障りになるべく候条、その分別これなき者は、御成敗を加うらるべく候こと、

 

一ⓘ、伴天連門徒志し次第に下〻なり候義は、八宗九宗の儀に候あいだ、苦しからざること

 

一ⓙ、大唐・南蛮・高麗へ日本仁を売り遣わし候こと曲事たるべし、つけたり日本においては人の売買停止のこと、

 

一ⓚ、牛馬を売り買い、殺し食べること、これまた曲事たるべきこと、

 

右の条〻堅く停止せられおわんぬ、もし違犯の族これあらば、たちまち厳科に処せらるべきものなり、

 
(大意)
 

一ⓖ、本願寺門徒やその坊主天満に寺を建てることは認めたが、寺内を以前のように堀や塀を巡らすことは認めていない。

 

一ⓗ、国郡や郷村を与えられた大名がその家臣へバテレンの門徒になることを強制することは、本願寺門徒が寺内を構えるより以上の害悪である天下の障りになるのは疑いないので、従わぬ者には御成敗を加えるものである。

 

一ⓘ、自発的にキリシタン門徒となるのは、八宗九宗が原則なので問題としない

 

一ⓙ、大唐・南蛮・高麗へ日本人を売り飛ばすことは曲事である。つけたり日本での人身売買は禁止する

 

一ⓚ、牛馬を売買し、殺して食べること、これまた曲事である。

 

右に挙げた事柄は厳しく禁じたところである。もしこれに背く者がいれば速やかに厳罰に処するものである。

 

 

ⓖは大坂本願寺門徒らに天満に寺を建立することまでは許したが、寺内を形成する、すなわち武装することは許していないとしている。この箇条単独ではキリシタンに言及していないが、次の箇条ⓗに続く。

 

ⓗでは国郡を与えられた「大名」*4が、家臣に強制的に改宗を迫るのは本願寺門徒が寺内を構えるよりけしからぬことで「天下の障り」であると述べている。ここではキリシタン大名が家臣に改宗を迫っていることが問題視されており、領民に強制したとは言及していない。本願寺の寺内と比較していることから武装した敵対勢力となり得ることを恐れたのかもしれない。

 

Fig.1 天満本願寺と大坂三郷

 

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                   『日本歴史地名大系 大阪府』より作成

ⓘは自発的に改宗することは「八宗九宗」の原則に適っているので問題ないとする。神田千里氏が引用する史料K*5において、黒田孝高など一部のキリシタン大名に棄教を命じなかったのは、信教は個々人次第という日本の習慣から棄教を強引に進めると人々が暴動を起こしかねないと秀吉が恐れたからではないかと宣教師たちは推測している。その推測の当否はともかく当時の日本で帰依する宗派は個々人の心次第である点は本文書と共通している。

 

ⓙでは日本人を大唐や高麗、さらに「南蛮」に売り飛ばすことは曲事であるとしている。「南蛮」はふるくは奄美大島あたりの呼称だったが、ルソンやジャワ、シャムなどの東南アジア諸国を指すようになり、そこを植民地としていたポルトガルやスペインをも意味するようになっていった。イエズス会の記録⑤はこれらの地域を「インド」と解しており、「世界各地」の意味で使っているようである。

 

「つけたり」の「日本において」の意味するところが「日本人を買い取って諸外国へ売ること」なのか単に「日本国内で売買すること」なのかわかりにくい。さらに命じた相手がイエズス会やポルトガル商人だけなのか、日本国内の「人商人」*6も対象としたのかで解釈は異なってくるのでここでは踏み込まない。

 

Fig. 2「南蛮」概念図

 

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 Fig.3「インド」概念図

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ⓚの馬や牛を食べることについて秀吉はこう問い質している*7馬は荷物を運搬し、戦争に奉仕するため養育されたものであり、牛は土地を耕すための、食物を栽培する道具である、と。それに対して、ガスパル・コエリョは次のように回答している*8。馬を食する習慣はないが、牛は最古の食料であり、そのために大量の家畜を飼育しており、したがって牛を食することは農業の妨げとはなっていない、と。また来日している宣教師たちは日本の食事に馴染んでいると付け加え肉食の事実を否定している。牛馬を役畜と位置づけ二毛作も行う日本農業と、休耕地に家畜を放牧して地力を回復させ、用畜とするポルトガル農業*9の対比が浮き彫りになっており興味深い。なお秀吉は牛馬のかわりに野生の動物を食するよう「狩猟民族」*10的な提案しており、肉食を忌避していたわけではない*11

 

前回、イエズス会に突きつけた文書は19日付のものと推測したが、神田氏の引用する史料Fに「総て悪魔が支配するままになって申し渡した翌日のもの*12に比べれば和らげられていた」とあることから、双方とも通告されたようである。

 

*1:天満本願寺、図1参照

*2:「南蛮」の指し示す地域は図2を、また「インド」は図3を参照されたい

*3:山本博文『天下人の一級史料』179頁より補った

*4:これまでは「給人」と呼んでいた

*5:神田前掲論文

*6:ひとあきびと

*7:同史料F

*8:同史料G

*9:二圃式農法。ただし日本中世初期の「かたあらし」と呼ばれる休耕田で牛馬を放牧していたという学説もある

*10:衣食住をすべて野生の動植物に依存する狩猟・漁労・採集経済に対して動植物を人間の管理下に置く(=飼育・栽培する)ことを農耕経済と考えるので、植物を採集していたことをもって「農耕」としたり、用畜を食することを「狩猟」と呼ぶのは初歩的な誤り

*11:野生動物を家畜化すること、および野生植物を栽培化・作物化することをともにdomesticationという。domesticには①家庭内の、②国内の、に加え③飼い馴らされたという意味があり、野生のヤマネコwildcatに対してイエネコをa domestic catと呼ぶ。ノラネコは「迷い出た家畜」を意味するa stray catまたは「路上のネコ」a alley cat

*12:19日付