日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正15年5月15日生駒親正・一正宛豊臣秀吉朱印状(1)

 

 

急度染筆候、

 

一、九州平均ニ被仰付、薩摩内島津居城五里六里*1之間ニ被立御馬、島津可被刎首処、剃頭、捨一命走入候之間、不被及是非被成御免、去八日被召出候事、

 

一、島津一類被召連、可被成御上洛候、其上義久同家老共人質不残致進上候事、

 

一、然上爰許被成御逗留*2、国〻置目等被仰付、御隙明次第、筑前国至博多被移御座、彼地自大唐・南蛮国之船着候間、丈夫ニ城*3普請可被仰付候、然者高麗国へ被差遣人数*4、可被成御成敗*5事、

 

一、壱岐・対馬両国者共悉令出仕事、

 

(以下次回、三、2189号)
 
(書き下し文)
 

きっと染筆候、

 

一、九州平均に仰せ付けられ、薩摩のうち島津居城五里六里のあいだに御馬立てられ、島津首を刎ねらるべきところ、頭を剃り、一命を捨て走り入り候のあいだ、是非に及ばれず御免なされ、去る八日召し出だされ候こと、

 

一、島津一類召し連れられ、御上洛なさるべく候、そのうえ義久・同家老とも人質残らず進上致し候こと、

 

一、しかるうえここもと御逗留なされ、国〻置目など仰せ付けられ、御隙明け次第、筑前国博多に至り御座移られ、かの地大唐・南蛮国よりの船着き候あいだ、丈夫に城普請仰せ付けらるべ候、しからば高麗国へ差し遣かわさる人数御成敗なさるべきこと、

 

一、壱岐・対馬両国の者ども、ことごとく出仕せしむること、

 

 
(大意)
 
手紙にて申し入れます。
 
一、九州一円を平定し、薩摩の島津居城の鹿児島まで5~6里のところに本陣を置き、島津の首を刎ねるべきところ、剃髪し、一命を捨て降伏してきたので一も二もなく赦免しました。去る八日にこちらへ連行しました。
 
一、島津一族を引き連れ上洛するつもりです。義久やその家臣全員から人質を取ります。
 
一、そのうえでこちらは九州にとどまり、国々の置目などを申し渡します。手隙次第筑前博多に向かいます。博多は大唐や南蛮諸国からの船が着く場所ですので、街づくりをしっかり行うつもりです。高麗への軍勢を準備するつもりです。
 
一、壱岐と対馬の者たちを全員出頭させるつもりです。
 

 

毎回のことだが、本文中の敬意表現はすべて秀吉に対するもので、書き下すとATOKがしばしば「二重敬語です」と指摘してくるくらい尊大な文章である。

 

Fig. 九州と壱岐・対馬

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Table. 九州と壱岐・対馬

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                        『国史大辞典』より作成

上表に掲げたように、太宰府管内の西海道は九州と壱岐・対馬の計11ヶ国からなる。「九州」には「中国全土」、「日本全土」の意味もあり、かならずしも西海道を指すとは限らない。

 

上掲史料では「九州」はすでに秀吉に属しているが、壱岐や対馬の者たちはこれから出仕させるつもりであるとあり、秀吉がいうところの「九州」に壱岐・対馬は含まれていない。ただ、「九州」=西海道の意味としても用いるようである。「イングランド」に由来する「イギリス(英吉利)」*6を、「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」の意味で用いる本邦において違和感はないだろう*7

 

ちなみに南海電鉄は南海道を走っており文字通り「南海」電鉄だが、西鉄は西海道を走っているものの「西海」鉄道ではなく「西日本鉄道」の略称であるので注意を要する。

 

 さて秀吉は博多は中国や南蛮諸国からの船が寄港するので、しっかりとした街づくりをするつもりであると述べている。6月19日のいわゆるバテレン追放令においても「自今以後仏法の妨げをなさざる輩は、商人のことは申すに及ばず、いずれにてもキリシタン国より往還苦しからず*8貿易に携わる者はもちろん、そうでないものでも仏道の妨げにならなければ来日することは自由であると述べており、貿易はもちろん博多の国際色を払拭するようなことはなかった。

 

また朝鮮への軍勢派遣の準備に着手するとも述べている。6月15日宗義智・義調宛判物*9によれば、派兵しようとしたところ義調があれこれいって先延ばしにしており、朝鮮国王が「日域*10にいたり」参洛すれば赦免するがそうでなければただちに渡海すると秀吉に叱責されている。したがって朝鮮派兵はこの時点ですでに決定事項だったようである。

 

 おまけ

1984年のソビエト連邦製作のドラマ「未来からの来訪者」第4話で

  London is a capital of Great Britain.

とヒロインが完璧な英語を披露するシーンがある(7分37秒あたり)。ロシア語と日本語の字幕があるが、英語を話すシーンでは英語のみである。エンドロールにも日本語字幕があるのがまたうれしい。

www.youtube.com

スコットランドのエディンバラ、ウェールズのカーディフ、イングランドのロンドンとグレートブリテン島には首都が3つあり*11、ロンドンはグレートブリテン=連合王国の首都でもあることから「a capital」と言ってるのだろう。その点でも意味深なセリフである。ワールドカップでは4ヶ国に分かれて予選に臨むので、イギリスから複数国参加できる。ヒロインアリーサ・セレズニョヴァはロシア語以外に8言語を話すが、日本語も含まれている。

*1:1里=4㎞だとすれば伊集院付近

*2:秀吉が逗留すること。「御」は秀吉自身への敬意表現

*3:城には「みやこ」や「まち」などの意味があるので、ここでは街と解釈した。c.f.「都城」(「みやこのじょう」ではなく「トジョウ」のこと)

*4:軍勢

*5:「御成敗式目」の注釈書「式目抄」には「善事をば【成】し、悪事をば【敗】るを成敗と云うなり、ただし成と敗は二つにしてひとつなり、善を成せば自ずから悪は敗るるなり、悪を敗れば自ずから善は成るなり」とあり、どちらかを行えば自動的に他方も達成されるのが「成敗」であるとする。政務を行うことや処置すること、計画することを意味するが、次第に処刑する意味に限定されていく。「仕置」も同様に「統治する」意味から「罰すること」に狭まる点で共通している

*6:ほかに「アングロ人の住む地」を意味する「アンゲリア」などがある。また17世紀初頭の徳川将軍家宛ジェームズ1世書翰では自身を日本語で「大ブリタンヤ国の王ゼメー帝王」(グレート・ブリテン国王ジェームズ帝王)と称している。『大日本史料』12-11、457頁。ブリテンは漢字で「不列顛」、古代ローマの呼称ブリタニアは「貌利太尼亜」などと書くが、幕末の外交文書では同じ文書中で「英吉利」も併用されている。井伊家文書中のイギリス全権公使オールコックの幕府宛書翰写にも「貌利太尼亜」とある。さらに、1894年締結の日英通商条約では「大不列顛愛蘭聯合王国兼印度国皇帝」と、1905年の「風俗画報」でも日英同盟「Anglo-Japanese Alliance」を論ずる際にも「大不列顛国」としている。なお1920年代までアイルランド全島が連合王国に属していたので「大不列顛・愛蘭連合王国」=「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」となり、現在の「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」よりNorthern(北・北部)がない分綴りは短い。「印度国」はイギリス領インド帝国で、パキスタンやバングラデッシュ、ビルマ(ミャンマー)などを含むかなり広い範囲を指す。「犬神家の一族」は犬神佐清と青沼静馬がビルマ戦線で出会ったところから物語が始まる

*7:ブリテンはフランス語では「ブルターニュ」といい「ブルトン人が住む地」の意。「グレートブリテン」は「グレートブリテン島」の意味で実質的にアイルランドを除いた三ヶ国。国の2レターコードはGBが用いられる一方連合王国のUKも使われる。イギリスドメインのURLはUK。イギリスポンドはGBP=£、EU加盟時代の自動車ナンバーの国表記も「GB」

*8:2244号

*9:2238号

*10:日が照らすところ、太陽が昇るところ、日本

*11:北アイルランドはベルファスト、アイルランドはダブリン