天正11年7月29日秀吉は武蔵岩付城主太田資正、常陸下妻城主多賀谷重経に長大な返書を書き送っている。二通とも写しか伝わっていないが、ほぼ同文である。ここでは重経宛の最後の一つ書きと文末を読んでみたい。 (前略) 一、廿五日*1、加州*2江出馬候之処、…
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