「ひとたらし」を漢字では「人誑し」と書く。「誑」は訓で「あざむく」と読み、意味は「あざむく、たぶらかす」である。
また1603年刊行の「日葡辞書」にはこうある。
Taraxi,taraxite
タラシ、または、タラシテ
詐欺師、あるいは、口先だけでだます人
『邦訳日葡辞書』614頁
つまり、秀吉と同時代を生きたポルトガル人は「ひとたらし」を詐欺師と理解していた。
また『日本国語大辞典』の「たらし」にも詐欺師とあり、用例は15世紀から19世紀にわたる。
したがって、19世紀までの秀吉の異名が「人たらし」なら、稀代の詐欺師ということになる。
以下のような記事をよく見るが、いずれも秀吉は詐欺師だったということで、徳川政権時ならそう呼ばれた可能性もあるが、豊臣政権時に「太閤殿下のことをひとたらし呼ばわりしている」といううわさが秀吉の耳に入ればただでは済まないであろう。磔刑好きの彼のことだ。いたるところで機物が見られただろう。
家康の、秀吉に対する評価はこうである。
太閤樣は古今の大氣知勇、至て堪忍強かリける故、卑賤ょり出,貳十年の中に天下の主にもなられ候程の事に候得共,あまリ大気故、分限の堪忍破れ候、大気ほとよき事はなく候得共、夫も人の身の程を知らす、萬事花麗を好み、過分に知行宛行、其外人に物施すも大氣にてはなく、奢と申ものにて候,知行其外施す品も、其分に當り候こそよく候
「それも人の身の程を知らず、万事花麗を好み、過分に知行宛て行い、そのほか人に物施すも大気にてはなく、おごりと申すものにて候」とあるように、秀吉の見栄張りを手厳しく批判している。家康には秀吉の振る舞いは「おごり」と見えたのだ。「ひとたらし」=詐欺師とまでは言わないが、「身の程知らず」とは容赦ない。