日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

「人たらし」の意味、ご存じですか?

「ひとたらし」を漢字では「人誑し」と書く。「誑」は訓で「あざむく」と読み、意味は「あざむく、たぶらかす」である。

 

また1603年刊行の「日葡辞書」にはこうある。

 

Taraxi,taraxite

タラシ、または、タラシテ

詐欺師、あるいは、口先だけでだます人

 

『邦訳日葡辞書』614頁

 

つまり、秀吉と同時代を生きたポルトガル人は「ひとたらし」を詐欺師と理解していた。

 

また日本国語大辞典』の「たらし」にも詐欺師とあり、用例は15世紀から19世紀にわたる。

 

したがって、19世紀までの秀吉の異名が「人たらし」なら、稀代の詐欺師ということになる。

 

以下のような記事をよく見るが、いずれも秀吉は詐欺師だったということで、徳川政権時ならそう呼ばれた可能性もあるが、豊臣政権時に「太閤殿下のことをひとたらし呼ばわりしている」といううわさが秀吉の耳に入ればただでは済まないであろう。磔刑好きの彼のことだ。いたるところで機物が見られただろう。

 

toyokeizai.net

 

家康の、秀吉に対する評価はこうである。

 

太閤樣は古今の大氣知勇、至て堪忍強かリける故、卑賤ょり出,貳十年の中に天下の主にもなられ候程の事に候得共,あまリ大気故、分限の堪忍破れ候、大気ほとよき事はなく候得共、夫も人の身の程を知らす、萬事花麗を好み、過分に知行宛行、其外人に物施すも大氣にてはなく、奢と申ものにて候,知行其外施す品も、其分に當り候こそよく候

 

「それも人の身の程を知らず、万事花麗を好み、過分に知行宛て行い、そのほか人に物施すも大気にてはなく、おごりと申すものにて候」とあるように、秀吉の見栄張りを手厳しく批判している。家康には秀吉の振る舞いは「おごり」と見えたのだ。「ひとたらし」=詐欺師とまでは言わないが、「身の程知らず」とは容赦ない。

 

 

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