(7条)
一、当國之諸侍、又ハあしかる二不寄、三好方へ奉公被出間敷候事、
(8条)
一、國之弓矢判状送リ候二、無承引仁躰候者、親子兄弟をかきり、拾ケ年弓矢之用に立申間敷候、同一夜之やと(宿),おくりむかい共あるましく候事、
(書き下し文)ひとつ、当國の諸侍、または足軽によらず、三好方へ奉公出らるまじく候こと、
ひとつ、國の弓矢判状送り候に、承引なく仁躰候者、親子兄弟を限り、十箇年弓矢の用に立て申すまじく候、同じく一夜の宿,送り迎えともあるまじく候こと、
(大意)ひとつ、当伊賀国の者のうち、侍、足軽の身分を問わず、三好家およびその家臣に奉公してはならない。
ひとつ、伊賀惣国が兵士として徴発したのに、したがわない者については、親子・兄弟にかぎり、十年間兵士として用いてはならない。同様に一晩の宿も貸さないこと,またその者の身を守ってもならない。
*三好方:三好家およびその家臣筋
*弓矢:「きゅうし」弓箭(きゅうぜん)ともいう。合戦のこと。「國の弓矢判状」で伊賀惣国が兵士として徴発すること。
*承引なく仁躰候者:兵士の召し状を拒否すること。
*親子兄弟を限り、十箇年弓矢の用に立て申すまじく候:一人が罪を問われると親類、縁者に累が及ぶ。これを「連座」といい古今東西に見られる現象である。ここでは無限に続きかねない連座の適用範囲を「親子兄弟」までとし、それ以上の遠戚の者は罪に問わないと定めている。そして、その処罰は10年間の兵役免除である。次項のような村八分的制裁がともなっていたと推測されるので、事実上追放刑に等しい。
*送り迎え:日葡辞書に「Vocuri mucai no buxi ヲクリムカイノブシ (送り迎えの武士)人を警護しながら、同行して送ったり、迎えに行ったりする役を勤める武士」(『邦訳日葡辞書』701頁)とあるので、送り迎えには警護する、武装するという意味があったようだ。
第8条に見えるように、伊賀惣国が兵士として召集しても、現実には拒否する者もいたようで、10年間の制裁が科された。ただし、連座の適用は親子、兄弟までとし、おじやおば、いとこなどまで追及することは禁じられたようだが、現実にはどうだったか。