日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正14年11月4日上杉景勝宛豊臣秀吉判物

 

 

去月廿一日之書状、今月四日加披見候、随家康於無上洛者、三川*1境目ニ為用心殿下*2被成御動座、北国衆*3其外江州*4何も宰相*5ニ相添、関東*6可差遣旨相定候之処ニ、家康上洛候て令入魂*7何様にも関白殿次第申候間、別不残親疎、関東之儀家康と令相談、諸事相任之由被仰出候*8間、被得其意、可心易候、真田*9・小笠原*10・木曽*11両三人儀も、先度其方上洛之刻*12如申合候、徳川所*13へ可返置由被仰候、然者真田儀可討果ニ相定候といへとも、其方日比*14申談られ候間、真田を立置*15知行不相違様ニ被仰定、家康ニ可召出之由被仰聞候、真田儀条〻不届段先度被仰越候時、雖被仰聞候其方為候間、真田儀被相止御遺恨、右分ニ可被成御免候之条、其方よりも真田かたへも可被申聞候、委細増田右衛門尉*16・石田治部少輔*17・木村弥一右衛門尉*18可申候也、

  十一月四日*19(花押)

      上杉少将とのへ*20

 

(三、2009号)
 
(書き下し文)
 
去る月廿一日の書状、今月四日披見を加え候、したがって家康上洛なきにおいては、三川境目に用心として殿下御動座なられ、北国衆そのほか江州いずれも宰相に相添え、関東へ差し遣わすべき旨相定め候のところに、家康上洛候て入魂せしめ、何様にも関白殿次第と申し候あいだ、別して親疎残らず、関東の儀家康と相談じせしめ、諸事相任すのよし仰せ出され候あいだ、その意をえられ、心易すんずべく候、真田・小笠原・木曽両三人儀も、先度その方上洛の刻申し合わせ候ごとく、徳川所へ返し置くべきよし仰せられ候、しからば真田儀討ち果すべくに相定め候といえども、その方日ごろ申し談られ候あいだ、真田を立て置き、知行相違わざるように仰せ定められ、家康に召し出すべきの由仰せ聞けられ候、真田儀条〻不届の段先度仰せ越され候時、仰せ聞けられ候といえどもその方為に候あいだ、真田儀御遺恨相止められ、右分に御免ならるべく候の条、その方よりも真田かたへも申し聞けらるべく候、委細増田右衛門尉・石田治部少輔・木村弥一右衛門尉申すべく候なり、
 
(大意)
 
 先月二十一日付の書翰、今月四日に拝読しました。家康が上洛しなかったときは三河との境目に用心のため出陣し、北国衆や近江の者どもは秀長につけ、関東へ派遣すべきと決めたところ、家康が上洛して臣従し「処分は関白殿のお気に召すまま」と申してきたので、親疎問わず関東のことは家康と相談の上、景勝に万事任せると定めましたのでご安心ください。真田昌幸・小笠原貞慶・木曽義昌三名のことも先日そなたが上洛した際に話し合った通りに、徳川へ土地を返すべきである。真田は本来討ち果たすべきところではあるものの、そなたが日頃から付き合いがあるとのことで、真田を間に立てて、知行地の境界に間違いないように定め、家康に返すべきである。真田は数々の不届きがあると先日申したものの、そなたのためでもあるので真田への遺恨は捨て、赦免したのでそなたより真田へ伝えるようにしてください。詳しくは増田長盛・石田三成・木村吉清が申します。
 
 

 

Fig. 信濃国勢力図

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                   『国史大辞典』「信濃国」より作成

 

真田昌幸は天正8年小田原北条氏勢力下の上野国利根郡沼田城を攻略し、沼田領を支配した。 同10年武田氏が滅亡すると、越後上杉・北条氏・家康と同盟を結び沼田領を守った。しかし同13年家康が北条氏と講和を結び、その条件として沼田領を割譲すると、昌幸は家康と断絶した。

 

下線部①は直接引用なのか間接引用なのか迷うところであるが、ここでは直接引用と解した。

 

②は「関東」の仕置については家康と景勝に任せるとしており、関東惣無事の先駆といえる。

 

③はこの仕置が国郡境目相論の裁定であることを示唆するものである。

 

♪ 春まだ浅い信濃路へ…8時ちょうどのあずさ2号で ♪

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*1:三河

*2:秀吉

*3:北陸に領地を与えられた豊臣大名

*4:近江に領地を与えられた豊臣大名

*5:豊臣秀長、宰相は参議の唐名

*6:古くは近江逢坂の関の東、ここでは三河以東くらいの意

*7:主君のお気に入りの者になること

*8:主語は秀吉

*9:昌幸、信濃国小県郡上田城主

*10:貞慶、天正10年信濃国深志城を落としたあと深志を松本と改称。松本駅の住所は「松本市深志一丁目」

*11:義昌、安曇・筑摩郡の領主

*12:この年6月景勝は上洛し、同21日「左近衛権少将」に任じられ「従四位下」に叙せられている

*13:上野国沼田領

*14:

*15:証人や見届け人を「立てる」の意

*16:長盛

*17:三成

*18:吉清

*19:天正14年

*20:景勝