日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

年未詳(天正2~3年カ)3月3日石田外百姓中宛羽柴秀吉判物

第一巻の、年代が確定している文書をあらかた読みおえたので、巻末に収載されている年代未詳のものをしばらく読むこととする。年代未詳とはいうものの、本巻「永禄8年~天正11年」と推定されるものであるし、さらに二三年に絞られる場合もある。ただし収載順…

戦国大名大内氏掟書・六角氏式目に見える「批判」

ここ最近「批判」という言葉をめぐるやりとりが喧しい。そこで前回読んだ秀吉発給文書中の「批判」と同様に使われている戦国大名分国法を検討したい。ここで挙げる事例は『日本国語大辞典』にも用例として採り上げられているので、ことさら目新しいわけでは…

天正11年11月13日稲葉一鉄宛羽柴秀吉定

定 一①、今度池田*1方其方*2申事*3付而、互物成*4押領*5分於在之者、可被持返事,一②、池田方之百姓年貢をはらミ*6、稲葉知行へ立隠*7候歟、又稲葉方之百姓年貢をはらミ、池田知行へ立隠族在之者、第一*8申事基候条、互急度相届候上、無沙汰*9之輩堅可為成敗…

天正11年11月12日広瀬兵庫助宛羽柴秀吉書状

其方在所広瀬*1弐ヶ村事、従(闕字)上様*2御時当知行旨、聊不可有相違候、池田*3・稲葉*4両人江も其通申候間、不可有別儀候、若何角申族於在之者、右趣可申届候、恐〻謹言、 天正十一 筑前守 十一月十二日 秀吉(花押) 広瀬兵庫助*5殿 『秀吉文書集』一、8…

天正11年8月29日摂州本庄・芦屋郷・山路庄宛石持定

摂州 本庄*1 定 芦屋郷 山路庄 一、対百姓不謂儀申懸族一銭切*2たるへき事、 一、田畠作毛*3あらす*4へからさる事、 一、石持者共不可宿借*5事、 右条々違背輩在之者、速可加成敗者也、仍下知如件、 天正十一年八月廿九日 筑前守(花押) 『秀吉文書集』一、…

天正11年8月22日一柳某宛羽柴秀吉書状

書状拝見候、仍堺宗久*1令逐電*2由候、如何様之子細*3候哉、沙汰外候*4、誰哉之者おとし*5候て其分*6候哉、宗久事者早〻可罷帰由可申遣候、宮法*7へも書状遣し候、其分可申付由候、将亦*8石持道*9事*10、無由断申付由尤候、随而普請者*11共宿事*12、播州衆*1…

翻刻の罠 天正19年3月12日「近江国箕浦村おころ彦三郎等作職請状」

前回、宮川満氏により翻刻された史料集をもとに以下のように述べた。 「おころ彦三郎」らが、土豪の井戸村与六に「御検地の面々名付け仕り、指出仕り候とも何時によらず召し上げられ候とも、一言の子細申すまじく候」(検地帳に名請人として記載され、それを…

天正11年7月今堀惣中定書案

検地の話が出たので、在地側の文書を読んでみたい。本史料はつとに注目されており、太閤検地を語る上で避けて通れない。中野等『太閤検地』(中公新書、2019年)でも現代語訳が引用されている*1。その史料解釈の一部については以前疑問を述べたことがあるの…

天正11年8月1日浅野長吉宛羽柴秀吉書状

前回、浅野長吉宛の知行充行状および知行目録を読んだ。今回は同じ8月1日付の書状を見ておきたい。 多羅尾四郎兵衛尉*1分、和束*2内千石、并しからき*3事、為与力申付候条、遂糺明*4、軍役已下有様可沙汰候也、恐〻謹言、 天正十一*5 八月朔日 秀吉(花押) …

天正11年8月1日浅野長吉宛知行充行状・知行目録

天正11年8月1日、秀吉は家臣に充てて知行(領知)充行状、知行目録を一斉に発給した。『豊臣秀吉文書集』一の748号から795号までのほとんどがそれに相当するところから見ても、その規模がうかがえる。知行充行状は家臣に土地を永代にわたって与えるという証…