日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正11年11月13日稲葉一鉄宛羽柴秀吉定

 

     定

①、今度池田*1方其方*2申事*3、互物成*4押領*5分於在之者、可被持返事,
池田方之百姓年貢をはらミ*6稲葉知行へ立隠*7候歟、又稲葉方之百姓年貢をはらミ、池田知行へ立隠族在之者、第一*8申事基候条、互急度相届候上、無沙汰*9之輩堅可為成敗事、
、諸奉公人、或緩怠・盜人・喧嘩・口論、或主・寄親へ号不足*10、暇不乞*11ニ権家*12へ立入候事可為停止*13、若拘置輩在之者、其者者可為成敗事*14
、公事篇*15ニ不限、喧嘩・口論・盗人以下於難決者、片切*16・伊木*17・那波・古江*18双方罷出可相決、其上二も不道行*19ハ、訴人論人*20召連大坂へ罷登、可請批判*21事、
、双方如此相定上、村質郷質*22一切停止事、
右条々無相違様、堅可被制止者也、仍如件、
                     羽柴筑前守
  天正拾一年十一月十三日            秀吉(花押)
   稲葉伊与入道殿*23


*紙継目裏に秀吉の花押あり

『秀吉文書集』一、838号、269頁
 
(書き下し文)
 

     定

一、このたび池田方・その方申すことについて、互いに物成押領分これあるにおいては、持ち返らるるべきこと,
一、池田方の百姓年貢を孕み、稲葉知行へ立ち隠れ候か、または稲葉方の百姓年貢を孕み、池田知行へ立ち隠るるやからこれあらば、第一申すことに基き候条、互いにきっと相届け候うえ、無沙汰のともがら堅く成敗たるべきこと、
一、諸奉公人、あるいは緩怠・盜人・喧嘩・口論、あるいは主・寄親へ不足と号し、暇乞わざるに権家へ立ち入り候こと停止たるべし、もし拘え置くともがらこれあらば、その者は成敗たるべきこと、
一、公事篇に限らず、喧嘩・口論・盗人以下決しがたきにおいては、片切・伊木・那波・古江双方罷り出で相決すべし、そのうえにも道行かざれば、訴人・論人召し連れ大坂へ罷り登り、批判を請くべきこと、
一、双方かくのごとく相定るうえ、村質・郷質一切停止のこと、
右条々相違なきよう、堅く制止せらるるべきものなり、よってくだんのごとし、

 

(大意)
 
 一、このたび恒興とそのほうが主張することについて、互いに押領した年貢などは元の持ち主へ返すこと。
一、池田領の百姓が年貢を滞納しながら稲葉領へ隠れるか、稲葉領の百姓が同様に池田領に逃げ込んだ場合は一箇条にもとづき、その旨互いに報告した上で、何もしない者は処罰すること。
一、奉公人のうちある者は怠けたり、盗みや喧嘩・口論などを起こし、ある者は主家や寄親へ不満があると言い暇乞いをせずに他の権家へ出入りすることを禁ずる。もしこういう者を抱え置いた場合その者は処罰する。
一、訴訟に限らず、喧嘩・口論・盗人などの処罰について決めがたいときは、片切・伊木・那波・古江の双方が出会いの上決しなさい。それでも決着しないときは、訴人・論人を連れて上坂し、裁定を受けなさい。
一、このように定めたので、双方とも村質・郷質などの手段に及ばないようにしなさい。
 右の通り相違ないようにしなさい。以上である。
 

 

天正11年11月、美濃清水城主稲葉一鉄と同大垣城主池田恒興のあいだで知行地の境界をめぐる相論が起きた。原因のひとつに、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川をはじめ大小様々な河川が乱流する輪中地帯であることが挙げられるだろう。流路が変われば事実上知行地は増減してしまう。目に見える境界は説得力を持つ分、押領の根拠ともなりやすい。係争地の関係略図を掲げておきたい。

 

Fig. 美濃国稲葉一鉄・池田恒興境界相論関係略図

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                   『日本歴史地名大系』「岐阜県」より作成

 

河川を国境や郡境と定めるのは机上では簡単だが、現実に流路は大きく変わるので河川の両岸や中州に飛び地ができてしまう。つまり境界線を決めるときに手を抜いた分、維持・管理にはそのツケが何倍にも跳ね返ってくるのだ。播磨国加古川でもそうだった。

 

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com

 

秀吉の裁定もこの延長線上にある。

Table 稲葉・池田境界相論裁定

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上表は本文書と同日稲葉一鉄に与えた知行目録を加工したものであるが、河川を境界としているうえ、稲葉領内に池田領が全体で41%、最大で61%も含まれてしまう実に妥協的な裁定を下してしまっている。その結果、④に見えるように片切・伊木ら在地の「噯人」の手にあまる場合、最終的な裁定が大坂に持ち込まれる場合も想定された。秀吉自身よくわかっていたのだろう。

 

こうした状況下、百姓たちは②に見られるように互いの領地を行き来する、逃散におよんでいたようである。

 

*1:恒興

*2:稲葉一鉄

*3:言い分、主張

*4:年貢諸役

*5:田畑・年貢・公事などの知行を自己のものと主張して侵奪することを意味する法律用語

*6:孕む、年貢を滞納する。e.g. 宝徳2年12月3日「作人ひこ太郎と申す者孕み候て失せ候」(『大日本古文書 高野山文書之五』783号)

*7:身を隠す、逃散のこと

*8:①の箇条

*9:すべきことをしないこと、等閑にすること

*10:不平や不満

*11:主人に暇を願い出ること

*12:有力な家、権門。別の奉公先

*13:「今川仮名目録追加」第2条にも「おのおの与力の者ども、さしたる述懐(不平や不満)なきところに、みだりに寄親とりかふること、曲事たるのあいだ」と見える

*14:「其者」を「拘え置く輩」=「権家」と解釈した

*15:訴訟

*16:片桐カ

*17:伊木忠次カ

*18:那波・古江は未詳

*19:ミチユク、ことが捗る・決着する

*20:訴人は原告、論人は被告

*21:裁定、判決。「日葡辞書」は「批判」(Fifan)を「と(批)りわく(判)る」とし、是非を糺すこと、ものごとの詮議、吟味とする。ほかに人々の間で流れる噂の意味もあり、同義語として「評判」(Fiǒban/Feǒban)を挙げている

*22:被害を与えた「村」や「郷」の構成員に同等の報復をする慣行。逃散した百姓の年貢滞納分を、同じ郷村の他の百姓に納入させること

*23:一鉄