第一巻の、年代が確定している文書をあらかた読みおえたので、巻末に収載されている年代未詳のものをしばらく読むこととする。年代未詳とはいうものの、本巻「永禄8年~天正11年」と推定されるものであるし、さらに二三年に絞られる場合もある。ただし収載順、すなわち文書番号が月日順なので年代が前後してしまう、その点了承されたい。なお文書番号は枝番などを含まない全巻通し番号、シリアルナンバーである。
就当郷不作地開発之こ*1めに上免として半分之通指置候、可得其意者也、
羽柴藤吉郎
三月三日*2 秀吉(花押)
石田
七条 百姓中
八条
今川
『秀吉文書集』一、876号、279頁
(書き下し文)
当郷不作地について開発のために上免として半分の通り指し置き候、その意を得べきものなり、
(大意)
当郷不作の土地について開発のため「上免」として例年の半分に年貢率を差し置くこととする。その旨あらかじめ含んでおくこと。
石田郷については野洲郡に比定する場合もあるが、他の三ヶ村が坂田郡であることからここでは坂田郡とした。石田三成の出身地としても知られる。
Fig. 近江国坂田郡石田・七条・八条・今川周辺図
ここまで「石田郷」、「他の三ヶ村」と記してきたが、このこと自体検討を要する問題である。というのも下線部の「当郷」が「石田」などの四ヶ郷を意味するのか、「石田」など四ヶ村をもって「当郷」という意味なのか、充所に「郷」や「村」などと書かれていないため判然としないからである。これ以上は本文書からわかりかねるので指摘するにとどめておこう。
また「上免」の意味だが、「アガリメン」と呼ぶ場合年貢率を上げる意味で使うので「不作地」、「開発のため」、「指し置く」*3という文脈上不自然である。また「ジョウメン」すなわち「定免」とも考えられるが、よく知られる定免法とは意味が異なるようである。水本邦彦氏は「免」について次のように述べている。
(前略)
〈免〉は近世においては領主取分(年貢)を指して用いられたが,これは免じるという本来的意味からすれば逆転した用法である。現在までの報告によれば,こうした逆転的用法はおおむね慶長・元和期(1596-1624)に始まるとされており,それ以前にあっては,免は本来の意味で用いられていた
(中略)
たとえば〈惣国免相少もおろし申まじ〉(加藤秀好・山上長秀連署折紙,1569(永禄12))とか,〈代官にみせずかりとる田は,めんの儀つかはし申ましき事〉(石田三成村掟条々,1596(慶長1))などにも,その用法を見ることができる。地方*4においても,和泉国日根郡佐野浦人は1603年分の〈公儀之物成〉を村高マイナス免の数式*5で算出しており,16年の同郡熊取谷村〈算用状〉も同様の方法をとっている。ちなみに,03年刊行の《日葡辞書》には,〈Menuo cô(免を請ふ).農民が主君に対して,すでにほかの人によって評価決定した土地の年貢の幾分かを免除してくれるようにと頼む〉〈Menuo yaru(免をやる).たとえば,十納めなければならなかったとすれば,その二を免じて八を納めさせるというように,免除してやる〉とある。なぜ慶長・元和期に免の意が逆転したのかということについてはいまだ不明確であって,研究上では,むしろ近世初頭における免の本来的用法に着目して,太閤検地の石高を標準収穫高とする通説批判が行われている段階にある。つまり〈めんの儀つかはし申ましき事〉などの用法は,石高=標準年貢高を暗示しているというのである
(後略)
水本邦彦「免」『世界大百科事典』JapanKnowledge版、ゴシック体による強調は引用者
「上免」の「上」は上中下など格付けの可能性もあるが今後の課題とする。さしあたり本文書の「免」が水本氏のいう「本来的用法」である「年貢を免除する」ということのみ確認しておきたい。