2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧
徳川幕府のもと代官・郡代として勤めた安藤博が、大正年間に自身の記憶と手許の文書類から旧幕時代の地方(じかた、これに対して都市部を「町方」と呼ぶ)支配の実務についてまとめたものを『徳川幕府県治要略』として刊行した。図解入りで検地(でこぼこし…
豊臣秀吉文書集に関して、その間の事情を簡潔にまとめられているのでぜひご一読いただきたい。信長、家康発給文書は刊行されて久しいが、秀吉文書集の出版がなぜ一大事業であるのかを感じられるコラムである。 www.jstage.jst.go.jp
東京大学史料編纂所「日本古文書ユニオンカタログ」「古文書フルテキストデータベース」「大日本史料総合データベース」「近世編年データベース」「維新史料綱要データベース」「近世史編纂支援データベース」で弘化年間の西郷吉之助文書を検索したが見つけ…
BS放送で西郷隆盛関係の文書が紹介されたようだ。文書の内容に触れずじまいだったので、ここで読んでみる。 覚 一、金壱万八千両七百五拾両也、 内千両入拾弐箱 同千弐百五十両之箱 同八百枚入外箱 同九百枚入尽箱 同五百枚入之箱 〆拾九箱御封印之侭 一、同…
元禄13年、村落で自検断が行われていたことを示す史料である。豊臣政権の喧嘩停止令を含む「惣無事令」で否定されていたにもかかわらず、100年後も慣行が続いていたことになる。 ci.nii.ac.jp
赤は「人家」 黄が「畑」 それを取り囲むように緑色で草が描かれている、芦の湿地帯が広がっていたようだ。 「田」は見た限り、見えない。 毫攝寺以外にも「禅宗極楽寺」「日蓮宗本妙寺」「浄土宗法仙寺」など宗派が異なる寺も含めて、砦のような町を形成し…
佐藤進一・百瀬今朝雄編『中世法制史料集 第五卷 武家家法Ⅲ』2001年、岩波書店、104頁 (木札) 定 樂市場 (補註)本令が対象とする楽市場について、勝俣鎮夫氏は、信長の稲葉山城下の加納とする通説に対して円徳寺々内の楽市場とし、本令により「旧来から存…
合字についてはこちらのサイトに詳しいのでご参照いただければさいわいです。 http://www.ihmlab.net/wp/?p=346 ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com
大日本史料の天正10年6月17日条に収載された古記録類に次のような記述が見える。 「言経卿記」 六月十五日、一、惟任日向守、醍醐辺ニ牢籠、則郷人一揆トシテ(=シテは合字)打之、首本能寺へ上了、 十七日、 日向守内齋藤蔵助、今度謀反随一也、堅田ニ牢籠…
徳川義宣『新修徳川家康文書の研究 第二輯』153頁、2006年、吉川弘文館 伊奈忠次ょり甲州九筋百姓に輿へたる起請文(天正十八年四月二十五日) 153頁 起請文當年田地何れも被入精、散田被仕一礼有之候上、壹札之表すこしも違候ハぬやうに一札之表二かりわけと…
出典はこちら。 「Don pedro Itami Somi segun fuentes Europeas 欧州の資料から見た伊丹宗味」 天理大学 学術情報リポジトリ 翻訳アプリにかけてみたが、ファイル変換しているうちに文字が置き換わってしまいうまくいかないので諦めた。ただ、日本語がとこ…
トルコといえば二言目には親日国であり、エルトゥールル号に言及されるのが21世紀の定番である。 しかしこの言説の起源は案外新しく、1980年代以前にはほとんど語られることはなかったと思う。 1980年代半ばまで「トルコ」という言葉を聞いた日本人が最初に…
三和良一他編『近現代日本経済史要覧』(2010年、東京大学出版会)21頁、表27より作成 1868年度から1875年度まで、政府の租税収入の85パーセントが地租だった。金納とはいえ事実上明治政府の収入は旧幕府と同様「年貢」に頼っていた。明治の最初の10年間は、…
將軍秀忠夫人淺井氏に輿へたる訓誡状(慶長十七年二月二十五日) 徳川義宣『新修徳川家康文書の研究』(1983年、吉川弘文館)439~466頁 (前略) 一、井伊兵部事、平日言葉少く、何事も人にいはせて承り居,氣重く見へ申候得共、何事も了簡決し候へは、直に申…
東京大学史料編纂所「大日本史料総合データベース」で検索したところ興味深いものを見つけた。まだ刊行されていないので読んでみた。 文禄4年9月29日石田三成奉行板原彦右衛門・井口清右衛門宛年寄・行事証文 大仏橋通万寿寺中今度御(十二人)せいはい人之…
太田記念美術館で2017年人気があったネコに関する浮世絵。 【2017年人気の浮世絵②】屋根の上でのネコたちの喧嘩を止めようとする「猫ずきな小僧」。歌川国芳の「教訓善悪 子僧揃」(個人蔵)より。猫好きの国芳らしい目のつけどころです。2017年4・5月開催の…
天正9年明智光秀侍・百姓指出関係文書 史料1 『新修亀岡市史資料編第二巻』40~41頁 和知衆知行高指出 片山丁宣家文書 (端裏書) 「日向守へ令□・・□」 当知行分一紙目録事 一、百七拾石五斗口升三合 片山兵内 一、弐十五石八斗弐升一合 地子方同人分 一、四…
戦国期に限らず、前近代において武芸に秀で、一廉の地位を獲得した者を世間では「武将」という。 『広辞苑』(第5版)では(1)軍陣の将、軍隊の将、(2)武道にすぐれた将としているので、近代、前近代を問わない可能性もある。したがって日本では明治以降…