徳川義宣『新修徳川家康文書の研究 第二輯』153頁、2006年、吉川弘文館
伊奈忠次ょり甲州九筋百姓に輿へたる起請文(天正十八年四月二十五日) 153頁
起請文
當年田地何れも被入精、散田被仕一礼有之候上、壹札之表すこしも違候ハぬやうに一札之表二かりわけとのり候分者かり分二成共、ついはうになり共、少損免被引候て、年具ニなり共、いつれも百姓衆のそミのことくに可申付候、不限御蔵入諸給共二九筋之内、かやうニやくそく申候上、御脇衆へも御異見可申候、年貝めへり候とて難澁之地頭衆へハ、御藏前をいたし候てなりとも申合候、首尾ちかへ申間敷候、いよいよ(くの字点)精二入、田地耕作可被申候、其上其方ょり首尾ちかい候衆をはとかニ行はたものニあけ候歟、郷中をはらい可申候之間、其分油斷被申ましく候、右分違候ハゝ日本国中大小神祇御はつをかうむり、むけんにたさいいたすへき者也、仍起請文如件、
天正十八年己丑
四月廿五日 伊奈熊藏(血判力)
九筋百姓中
參
(書き下し文)
当年田地いずれも精を入れられ、散田仕まつられ一礼これあり上、一札の表すこしもたがいそうらわぬように一札の表に刈り分けと載り候分は刈り分になるとも、追放になりとも、少損免引かれ候て、年貢になりとも、いつれも百姓衆望みの如くに申し付くべく候、御蔵入にかぎらず諸給ともに九筋の内、かように約束申し候上、御脇衆へも御異見(=意見)申すべく候、年貢目減り候とて難澁の地頭衆へは、御藏前をいたし候てなりとも申し合わせ候、首尾違え申すまじく候、いよいよ精に入れ、田地耕作申さるべく候、そのうえ其方より首尾違い候衆をは咎に行ない、機物にあげ候か、郷中を払い申すべく候の間、その分油斷申されまじく候、右のわけたがい候わば、日本国中大小神祇御罰を蒙り、無間に堕在いたすべきものなり、よって起請文くだんのごとし、
(大意)
今年も田畑の耕作に精を入れられ、土地の割り当てが知行宛行状の趣旨に背かぬように、文書に「刈分」と記載されたものは稲を刈ってしまったものでも、追放処分になろうとも、年貢減免分を間引かれてその分年貢として納めてしまったとしても、いずれの場合においても「百姓衆」の希望通りのように命じます。蔵入地に限らず給人の土地であろうとも甲州九筋はこのように約束し、その上「御脇衆」にご意見をうかがうつもりです。年貢が目減りすると言って困窮している地頭には、蔵入地からの収入を分け与えてなんとか致します。上手に捌けない地頭はその罪を追及し、磔刑とするか郷村からの追放とするので、その点油断なきようにしてください。もしこの約束に背けば日本国中大小の神罰・仏罰を受け、無間地獄へ転落するものです。以上起請文の通りです。
九筋
萬力筋:山梨郡、栗原筋:山梨郡、大石和筋:八代筋、小石和筋:八代郡、中筋:八代郡・山梨郡・巨摩郡、北山筋:山梨郡・巨摩郡、逸見筋:北巨摩郡、武川筋:巨摩郡、西郡筋:巨摩郡、八代郡
*散田:著者の徳川義宣氏は「領主の田地を割り当てること」(154頁)と解しているので、ここでもそれにしたがって、大意をとる。
*一礼:証拠となる文書、証文。
*表:文書、立札などで記載されている事柄。ここでは「文面の通り」といった意味合い。
*かりわけとのり:「かりわけ」は刈分小作を意味する。「刈り分けと載り」徳川氏が天正17年から18年にかけて行った五箇国惣検地において、検地帳に文付記載がされた。
https://www.city.mishima.shizuoka.jp/media/15010170_jpg_2014827_rad5BE84.jpg
http://www.city.funabashi.lg.jp/kurashi/gakushu/0005/p008847.html
これらの検地帳では「○○分△△作」と記載され、一筆の田畑に権利を持つ二人の関係が反映されている。「かりわけ」が「○○分」を指すのか「△△作」なのかこの文書だけではなんともいえない。
*少損免引かれ候て、年貢になりとも:「損免」は風水害や虫損などの不作により年貢を負けてもらうこと。この部分は「損免率が低く設定されたため、その分余計に年貢として納めた分」という意味。
*百姓衆:名主百姓あたりだろうか。
*御蔵入:徳川家康の直轄地。次の「諸給」と対になっている。
*諸給:諸給人、つまり家康の家臣に宛がわれた土地。蔵入地と諸給人が与えられた土地は年貢率など負担が異なる場合も少なくない。「御蔵入にかぎらず諸給ともに九筋の内、かように約束申し候」は「直轄地であろうがなかろうが、約束する」の意味。
*御脇衆:この文書の発給人である伊奈忠次より上位に位置する、家康の重臣と思われる。「御脇衆へも御異見可申候」とあることから、この時期の徳川政権は国人クラスの合議によって運営されていた、と言えそうだ。
*年貢目減り候とて難澁の地頭衆へは、御藏前をいたし候てなりとも申し合わせ候:年貢の入りが悪いと困っている地頭、つまり家康から土地を与えられた家臣たちには、直轄地からの収入から分け与えて、その台所を支えるつもりである、という意味。
*難澁:中世の「難渋」は多義的で「年貢などを納めない、義務を果たさない」などの意もある。
*其方より首尾違い候衆をは咎に行ない、機物にあげ候か、郷中を払い申すべく候:「百姓衆から訴えがあった領主は処罰し、磔刑に処するか郷村からの追放を命じる」という意味。この「郷中を払い」という文言から家康の家臣団が、郷村に本拠を構えていることがうかがえる。
*無間:無間地獄。