日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正16年9月18日龍造寺政家宛豊臣秀吉朱印状

 

 

百姓刀・脇指之儀、早〻取集被差上*1候、入念*2之通尤思召候、其許万被申付、来春*3者上洛待覚*4候、猶増田右衛門尉*5可申候也、

   九月十八日*6(朱印)

      羽柴肥前侍従とのへ*7

 

(三、2615号)

 

(書き下し文)

 

百姓刀・脇指の儀、早々取り集め差し上げられ候、入念のとおりもっともに思し召し候、そこもとよろず申し付けられ、来春は上洛待ち覚え候、なお増田右衛門尉申すべく候なり、

 

(大意)

 

百姓たちから刀・脇指を早速に没収し上方へお送り下されたこと、実に喜ばしいことと思います。そなたが万事統治し、来春上洛されることを待ち遠しく思います。なお詳細は増田長盛が申します。

 

 

以前ブログで取り上げた朱印状が、龍造寺政家にも同日付で発せられている。

 

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com

 

上で取り上げた文書は10月までの年貢収納まで「在番」を命じるものであった。すなわち軍事力を背景にした年貢徴収であるが、政家は同時に7月8日に発せられた刀狩りも実施し、その「成果」を上方へ送っていた。年貢徴収とともに百姓たちの武装解除も進めていた政家に対する、秀吉の覚えがめでたかったことを示している。

 

*1:「被」は政家に対する敬意

*2:丁寧なさま。ここでは政家の刀狩り施行が順調に進んだこと

*3:天正17年1~3月

*4:思い浮かぶ、思い出される

*5:長盛

*6:天正16年、グレゴリオ暦1588年11月6日、ユリウス暦同年10月27日

*7:龍造寺政家