百姓刀・脇指之儀、早〻取集被差上*1候、入念*2之通尤思召候、其許万被申付、来春*3者上洛待覚*4候、猶増田右衛門尉*5可申候也、
九月十八日*6(朱印)
羽柴肥前侍従とのへ*7
(三、2615号)
(書き下し文)
百姓刀・脇指の儀、早々取り集め差し上げられ候、入念のとおりもっともに思し召し候、そこもとよろず申し付けられ、来春は上洛待ち覚え候、なお増田右衛門尉申すべく候なり、
(大意)
百姓たちから刀・脇指を早速に没収し上方へお送り下されたこと、実に喜ばしいことと思います。そなたが万事統治し、来春上洛されることを待ち遠しく思います。なお詳細は増田長盛が申します。
以前ブログで取り上げた朱印状が、龍造寺政家にも同日付で発せられている。
japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com
上で取り上げた文書は10月までの年貢収納まで「在番」を命じるものであった。すなわち軍事力を背景にした年貢徴収であるが、政家は同時に7月8日に発せられた刀狩りも実施し、その「成果」を上方へ送っていた。年貢徴収とともに百姓たちの武装解除も進めていた政家に対する、秀吉の覚えがめでたかったことを示している。