日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

明治12年(1879)郡区編成による府県庁および郡区役所所在地

明治11年7月22日に発せられた太政官布告17号は「郡区町村編制法」を自称している。基本的な史料なので全文を掲げておく。

 

 

郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告17号)

 

郡区町村編制法、左の通り定められ候条、この旨布告候こと


第一条 地方を画して府県のもと郡区町村とす


第二条 郡町村の区域・名称はすべて旧による


第三条 郡の区域、広闊に過ぎ、施政に不便なるものは、一郡を画して数郡となす、東西南北上中下某郡というがごとし


第四条 三府*1五港*2そのほか人民輻輳*3の地は別に一区となし、その広闊*4なるものは区分して数区となす


第五条 毎郡に郡長各一員を置き、毎区に区長各一員を置く、郡の狭小なるものは数郡に一員を置くことを得


第六条 毎町村に戸長各一員を置く、また数町村に一員を置くことを得


追加
第七条 この編制法を施行しがたき島嶼はその制を異にするを得


第八条 地方の便益もしくは人民の請願により止むをえざる理由あるものは郡区町村の区域名称を変更することを得


第九条 第三条、第四条、第七条、第八条の施行を要するときは府知事県令より内務卿に具状*5し、政府の裁可を受くべし


 ただし町村区域名称の変更は内務卿の認可を受くべし

 

(漢文体を書き下し、旧字体や異体字は現漢字に改めた)
 

 

この趣旨をまとめると下図のようになる。「府県ー郡区ー町村」が行政団体であるのと同時に「国ー郡ー町村」という領域的空間的概念も採用した。これは交通通信技術の時代的制約から来るものであり、たとえ今日の通信速度をもってしても人々になじみある地名を「一新」するなど荒唐無稽であることは容易に想像できるだろう。府県が国にとって替わったという発想はあまりに短絡的、超歴史的と断ぜざるを得ない。駅名や市名に国名が冠せられる事例に事欠かないことを失念しているからである。

 

Fig. 国郡ー府県概念図

 

この二本立ての区画を一元化することに相当な困難をともったであろうことは、下表の「武蔵国北足立郡浦和」の例を見るまでもなかろう。なお記載は東京府、京都府、大坂府(ママ)、沖縄県を除いて「イロハ」順である。また北海道は「開拓使」とされている。

 

docs.google.com

*1:東京、京都、大坂の三府

*2:神奈川、兵庫、長崎、箱館、新潟の5港

*3:混み合うこと

*4:面積が広いさま

*5:事の次第を詳しく報告・上申すること