日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正16年4月2日鍋島直茂宛豊臣秀吉朱印状

 

長崎*1*2近年伴天連令知行分事、御代官被仰付候間*3、致取沙汰*4、物成等*5可運上候也、

   天正十六

     卯月二日 (朱印)

        鍋島飛騨守とのへ*6

(三、2454号)
 
(書き下し文)
 
長崎廻り近年伴天連知行せしむる分のこと、御代官仰せ付けられ候あいだ、取沙汰致し、物成など運上すべく候なり、
 
(大意)
 
長崎の周囲にここ数年伴天連の知行していた土地を蔵入地とし、そなたを代官に任じる。事務を取り扱い、年貢などを必ず運上すること。
 
 

 

Fig. 肥前国長崎、佐賀周辺図

 

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                   『日本歴史地名大系 長崎県』より作成

 

繰り返しになるが「蔵入地」自体には「誰かの直轄地」という意味しかなく、秀吉の直轄地=太閤蔵入地*7であるとは限らない。ワシントンD.C.をアメリカ連邦政府の直轄地という意味で「米連邦蔵入地」と呼んでも差し支えないと個人的には思う。

 

「蔵」は財産を象徴する言葉で大蔵・内蔵(うちつくら)・斎蔵(いみくら)の「三蔵」や「屯倉」(みやけ)、「土倉」など様々なバリエーションが見られる。「大蔵省」はそれに由来する名称である。

 

ここ数年長崎周辺で伴天連が知行していた土地をこのたび太閤蔵入地とするので、鍋島直茂をそこの代官に任じ、支配を行い、年貢などを必ず運上するよう命じた朱印状である。

 

直茂は佐賀の城主で、もよりの大名に太閤蔵入地の代官を兼務させることは豊臣政権ではよくあるケースである。

 

 

 

*1:肥前国、下図参照

*2:周囲

*3:太閤蔵入地の代官に直茂を任ずる

*4:取り扱う

*5:年貢など

*6:直茂

*7:通称