日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正20年8月14日細川藤孝宛豊臣秀吉朱印状を読む

去月廿四日之使札*1、今日十四日於大坂被加披見候、
一、祁答院*2成敗申付、 首共注文*3相添到来、神妙思召候事、
一、梅北*4一類残党妻子尋捜、悉至于名護屋相越、加成敗掛置*5由尤候事、
一、薩州・同出水并日向諸県郡検地之事、急度名護屋へ御帰座候之条、彼地ゟ

  可被仰聞候、但当年者時分可遅候哉之事、
一、義久知行沽却勘落事、被成御朱印候事、
一、島津蔵納、其外諸代官噯分相改、可遂算用事、
一、寺社領之事、先令内検地*6、当所務ゟ義久蔵納ニ可仕事、
一、其元之儀、弥入念可被申付候、委儀者名護屋ゟ可被仰聞候、猶木下半介*7・山中

  橘内*8可申候也、
    八月十四日(秀吉朱印)
        長岡二位法印*9

 

 

               『豊臣秀吉文書集 五』4234号文書、243~244頁

 


(書き下し文)

去る月廿四日の使札、今日十四日大坂において披見を加えられ候、
一、祁答院成敗申し付け、 首とも注文あい添え到来し、神妙に思し召し候こと、
一、梅北一類残党妻子尋捜、悉至于名護屋相越、加成敗掛置由尤候事、
一、薩州・同出水ならびに日向諸県郡検地のこと、急度名護屋へ御帰座候の条、かの地より仰せ聞けらるべく候、ただし当年は時分遅れるべく候やのこと、
一、義久知行沽却・勘落のこと、御朱印なられ候こと、
一、島津蔵納、そのほか諸代官噯い分あい改め、算用を遂ぐべきこと、
一、寺社領のこと、まず内検地せしめ、当所務ゟ義久蔵納に仕るべきこと、
一、そこもとの儀、いよいよ入念申し付けらるべく候、くわしき儀は名護屋より仰せ聞けらるべく候、なお木下半介・山中橘内申すべく候なり、

 

(大意)
先月二十四日の書状、本日十四日大坂にて読みました。
一、島津歳久を成敗するように命じたところ、首を注文に添えて届け、神妙なことです。
一、梅北国兼の縁者や残党、妻子を捜し出し、全員名護屋へ連れて行き、成敗した上磔刑に処したとのこと、もっともなことです。
一、薩摩・同国出水ならびに日向諸縣郡の検地について、必ず名護屋へ戻りますので、そこから命じます。
一、義久の土地のうち売却ずみのものを没収することについては、朱印状を発します。
一、島津家の蔵入地、そのほか代官たちが扱っている分をよく吟味し、きちんと精算するようにしなさい。
一、寺社領は、あらかじめ内検地をさせ、本年の年貢諸役から義久の蔵に納めるようさせなさい。
一、そなたのこと、念を入れるようにしなさい。詳しくは名護屋から命じます。なお、木下義隆・山中長俊が口頭で伝えます。

 

全6条あるうち、前回読んだ島津義久細川藤孝両名宛の同日付朱印状と異なる条文は、1条、2条、4条、6条と「内検地」という文言を記した5条である。

 

1条は義久、義弘の弟である歳久の首が届いたことを、2条は梅北国兼の親類縁者や残党、妻子を殲滅した旨書かれている。歳久は、秀吉の命に背いて出兵しなかったことや梅北一揆に荷担したと疑われたことで処罰されたのであるが、それを義久に伝えることはしなかったわけである*10

 

4条は、もともと島津家の土地だったものを売却処分したものを「勘落」するためには秀吉もしくは秀次の朱印状が必要だったことを示している。島津家だけの力ではむずかしかったのだろう。

 

6条は豊臣政権の代官として現地へおもむく藤孝への注意喚起である。

 

さて問題は5条の「内検地」である。これはおそらく「内検」=検注に近いものであろう。郷村へ検地役人を派遣して、田畠一筆ごとに丈量するということは時間的にも無理だったことから、作柄だけを見て今年の年貢算用に間に合わせるように、という趣旨であろう。「寺社領」とあることから寺社の権限がかなり強かったとも考えられる。

 

梅北一揆や歳久の独立した動向、寺社領の土地所持への権限の強さなど、このころの島津家領国はまだまだ中世的性格が強かったものと推測できる。

*1:使者に持たせる書状

*2:島津歳久

*3:討ち取った人名のリストを注文と呼ぶ

*4:国兼

*5:磔刑のことか

*6:「内検」のことか。作柄を検分すること。「当所務」と続くことから土地を丈量する通常の検地でなく、とりあえず今年の年貢収納に間に合わせるための調査。秀吉の文書には「作職」など荘園用語がしばしば見られる

*7:木下義隆

*8:山中長俊

*9:細川藤孝

*10:義久だけに宛てた同日付朱印状=4231号文書で歳久一類を成敗した旨伝えている