今度徳政*1之儀ニ付て、当庄*2之事守護不入*3之段申上、為御本所*4被仰付候処ニ、今更*5不能承引由候、近比*6不相届*7儀共候、所詮*8於背御本所者、堅可有御成敗候、光浄院*9折紙を相調進之候、謹言、
十一月廿日*10 秀吉(花押)
相楽庄
蔵方*11中
「豊臣秀吉文書集 一」32号文書、12頁
(書き下し文)
このたび徳政の儀について、当庄のこと守護不入の段申し上げ、御本所として仰せ付けられ候ところに、今更承引あたわざるよし候、近比あい届かざる儀とも候、所詮御本所にそむくにおいては、堅く御成敗あるべく候、光浄院折紙をあいととのえ、これをまいらせ候、謹言、
(大意)
今回の徳政令につき、当庄は守護不入の地である幕府へ申し上げ、荘園領主である御本所であると仰せになったところ、急に承服しかねるとのこと。最近命に背くことといい、本所の命に背く場合は厳しく追及することとする。光証院へもその旨したためた折紙を送っている。
「蔵方」、つまり質取主への書状である。今回の徳政について、織田政権は摂津国平野荘*12や大徳寺、山城国賀茂郷、醍醐寺などに徳政の免除を認めている*13。やや文意が取りにくいところもあるが、蔵方が日頃から織田政権の指示に従っていない様子がうかがえる。信長の在地支配は道半ばと言ったところだろうか。