就東寺領之儀、先度信長被出朱印*1候之間、彼寺へ可納所由、則折紙進之処、寄事双*2于今無沙汰*3由不可然候、年貢諸成物等如有来候*4可寺納候、若於難渋者可令譴責候、為其折紙進候、恐々謹言、
元亀元 木下藤吉郎
八月十九日 秀吉
東寺領上久世
名衆百性中
「豊臣秀吉文書集 一」25号文書、10頁
(書き下し文)
東寺領の儀について、先度信長朱印を出され候のあいだ、かの寺へ納所すべきよし、すなわち折紙これを進らすところ、事を双によせ今に無沙汰のよししかるべからず候、年貢・諸成物など有り来り候ごとく寺納すべく候、もし難渋においては譴責せしむべく候、そのため折紙進せ候、恐々謹言、
(大意)
東寺の荘園である上久世庄については、以前信長より東寺領の当知行を認める旨朱印状を与え、年貢諸役を東寺へ納めるべしとの折紙を差し出したところ、いまだあれこれと理由をいって年貢諸役を納めていないという。言語道断の所行である。従来通りに納めるようにしなさい。もしまたあれこれと困らせることがあれば、必ず責めを負わせる。そのために本文書を発給した。
Fig. 上久世庄周辺図 「日本歴史地名大系」京都府より作成
上久世庄は一円型荘園の典型で、近世の上久世村にほぼ比定される。信長の朱印状によれば、足利家将軍家の御内書・下知状などによって東寺領であることが認められてきているのに、荘民はどうもこうした裁定に不満を持っていたようで、年貢などを滞納しているようである。業を煮やした秀吉は譴責をちらつかせつつ、信長の裁定に従うよう命じている、