(書き下し文)「 羽柴柳川侍従殿へ」定
一①、諸国海上において賊船の儀、堅く御停止なさるるのところ、このたび備後・伊与両国のあいだ、伊津喜島にて盗船仕るの族これある由聞し食され、曲事に思し食すこと、
(大意)「 立花宗茂殿へ」定
一①、諸国海上において海賊行為を働く船について、厳禁としたところ、このたび備後・伊与両国の国境線上にある伊津喜島にて海賊行為を行った者があるという噂を耳にした。これは曲事である。
①の「海賊」について、山内譲氏は明治以降読み物として多くの「パイレーツ」物が流入した際に「海賊」の訳語があてられたことでイメージの混同が起きたと指摘する*1。海外ドラマで剽窃された著作物を「pirate」と呼ぶシーンを見ると、「海賊版」という言葉が日本語の中から生まれたというよりは、西洋語が輸入された際にそのまま直訳されて輸入されたという気がする。こうした翻訳事情から概念に混乱をきたすことは歴史学の宿命である。だからこそ史料上の用語か通称か、同時代の用語か後世の呼称か、日常用語か歴史学ないしは社会科学の概念かなどを厳密に区別することが求められるのである。
海賊行為とは、「通行料」を徴集する見返りに航行の「安全」を保障するか、さもなくば通航自体を「不当」とみなして財産などを没収する行為である。「通行料」とは平たくいえばみかじめ料のようなものである。ここからさしあたり海賊とは「海の領主」と呼ぶことができるだろう。
周知のようにマックス・ヴェーバーは政治的な団体、および国家について以下のように述べている。
過去においては、氏族(ジッペ)を始めとする多種多様な団体が、物理的暴力をまったくノーマルな手段として認めていた。ところが今日では、次のように言わねばなるまい。国家とは、ある一定の領域の内部で-この「領域」という点が特徴なのだがー正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である、と。
(マックス・ヴェーバー『職業としての政治』9頁、脇圭平訳、岩波文庫版、赤字は引用者、下線は原文)
ヴェーバー流に言えば、海賊とは「物理的暴力」をノーマルな手段として行使していた政治団体であるといえよう。そして豊臣政権は、これら自力救済行為を私闘として禁じ、みずからの軍事行動のみを正当化し、独占してゆく権力であったのだ。それは郷村や浦々を含む様々な政治団体の再編成をともなう社会構造全体に関わるものであった。秀吉の「天下統一」は単なる国盗りゲームではないのである。
さて、①は「これまでに」海上での海賊行為を禁止したにもかかわらず、斎島で事件が起きたと耳にした秀吉が、曲事であると改めて言明した。事件についての詳細は不明であるが、対処療法的な側面も多分にあったことだろう。
*1:山内『海賊の日本史』3~4頁、講談社現代新書、2018年