書状披見候、妻子召連早〻令下着*1旨、尤被思食候*2、依之家来*3之者・百姓以下迄致安堵、荒地*4相返*5致開作*6由可然候、猶以守御法度*7旨、諸事可申付候、委細長束*8可申候也、
五月廿五日*9 (朱印)*
加藤主計頭とのへ
(三、2497号)(書き下し文)
書状披見し候、妻子召し連れ早〻下着せしむる旨、もっともに思し食され候、これにより家来の者・百姓以下まで安堵いたし、荒地相返し開作いたすよししかるべく候、なおもって御法度の旨を守り、諸事申し付くべく候、委細長束申すべく候なり、
(大意)
書状拝読しました。妻子ともども早々そちらに到着した旨、もっともなことと感じ入っております。家中の者から百姓以下にいたるまでさぞかし安堵していることでしょう。荒廃した田畠を耕し、山野を切り開くのがふさわしいことです。なお法度の趣旨をよく守り、万事命じること。詳しくは長束正家が口頭で申します。
荒廃した田畠を耕させ、山野を切り開いて領国経営の安定化を図り、また法度の趣旨を守るように命じている。
問題となる天正14年1月19日付「御法度」が指すものは以下の箇条である。
①百姓が住む在所の田畠を荒らしてはならない。「給人」はその在所へ出向き未進のないように収穫の3分の2を年貢として徴収すること。
②万一凶作などの年は1反あたり1斗以下の出来ならすべて百姓の取り分とし、翌年の植え付けをさせるよう命じなさい。1反あたり1斗を超える出来なら右に定めたように3分の2を収納しなさい。
③百姓が年貢を納めず、また夫役なども勤めず、隣国や他郷へ出歩いてはならない。もしこれについて隠匿した場合はその在所全体の責任とする。
④給人は領分の百姓が「迷惑」(=困窮)しないように支配しなさい。「代官」*10などに任せず、直接念を入れて支配しなさい。百姓に対して理不尽な言いがかりを付けた際は給人の責任とする。
⑤年貢を徴収する際は10合=1升の枡を使用し、あるがままを量りなさい。なお付加税である「打米」*11は1石につき2升(2%)ととし、それ以外の役米を徴収してはならない。
⑥領分に堤などがある場合は正月の農閑期に修理させ、大破したときなど給人や百姓の手に負えない場合は秀吉まで報告せよ。
①から俗に「二公一民」などといわれる。しかしつづく②にあるように反収が1斗以下*12、つまり10分の1まで落ち込んだ場合は全額免除とするとあり、実際のところは確認できない。今年はこれだけの年貢を納めよという村宛の「年貢免状」や「年貢割付状」が見られるのは徳川期に入ってからである。
③では百姓が勝手に領分から奉公先を求めて出歩くことに頭を痛めている様子がうかがえる。奉公先としてもっともポピュラーなのは戦場である。
④は秀吉から領地を与えられた給人自身が直接村と相対し、他人任せにしないよう命じている。百姓が困窮するような支配を行った場合給人の責任とし、無制限の領国支配を認めたわけではないことが読み取れる。
⑤では年貢徴収に使用する枡を定め、様々な口実で賦課されていた「打米」の上限を定めている。実際この前後の時期で比較してみると1石あたり2斗(10%)から2升(1%)へ10分の1に激減している。この時期の文書でよく目にする「あれやこれや理由を付けた賦課する」状況が実際にあったことが確認できた。
Table. この前後の時期の1石あたりの「打米」比率(単位:升)
⑥は農業用水や水害などから村々を守る堤などの修理を念入りに行うよう命じており、現地の手に負えないケースは秀吉の裁可を仰ぐよう付け加えている。給人に無制限の権限を与えない④と表裏の関係にある保護的な面を覗かせている。
以上をまとめると次のようになるだろうか。
Fig.「御法度」の趣旨
清正は翌閏5月6日付で、本文書のより徹底した内容を記した文書を阿蘇小国の土豪北里氏に発しており*13、秀吉の命に忠実である様子がうかがえる。ちなみにこの北里氏の子孫から輩出した人物に、感染症研究で知られる北里柴三郎がいる。
*1:ゲチャク/くだりつく。都から地方の目的地へ向かい到着すること。対義語は「上着」=ジョウチャク/のぼりつく
*2:秀吉自身への敬意表現
*3:もともとは「家礼」と書き摂関家に奉仕する貴族を指したが、のちに武家社会で臣従する者を呼ぶようになった。ここでは清正の「家中」全体を指している。ただし武家社会のみではなく、隷属的な百姓や商家の雇傭人を「家来」と呼ぶこともしばしばある。「御館」(おやかた)や「御家」(おいえ)と呼ばれる地主的農民に対して、身分的・経済的に隷属する農民を「被官」、「家抱」(けほう)と呼ぶように当時の社会全般に見られた関係である
*4:荒蕪地となる原因は災害や戦乱のみならず、百姓の逃散による労働力不足の側面もある。逃散する理由は重い負担に抗議するためであったり、戦乱から生命や財産を守るためでもあるので原因が単一であるとは限らない
*5:耕作する。e.g.「田を返す」で「田を耕す」
*6:山野を開墾して田畠とすること、開墾
*7:天正14年1月19日付の「定」、1841~1845号
*8:正家
*9:天正16年
*10:文字通り「代わりに勤める者」、「給人」の家臣
*11:海難に遭遇した船舶が安全を保つために積み荷の米を海中へ投棄することを打米と呼ぶが、それとは別らしい
*12:1反あたり1石あたりが目安
*13:『阿蘇郡誌』497~498頁、1926年