曇花院*1殿*2樣御領大住庄*3三ヶ村、同南東跡職*4等之儀、今度一色式部少輔*5殿御違乱ニ付而、双方躰*6御糺明之処、(闕字)御寺様*7より御理*8之段無紛候間、御朱印*9被進之候、一円ニ可被仰付之由候上者*10では、入組*11買得方、其外南東家来等ニ至る迄、御寺様可為御計候、守護不入之知(ママ)として御直務之条、御年貢所当無疎略可進納申事簡要*12候、於無沙汰者、可為御成敗者也、謹言、
永禄十三 木下藤吉郎
三月廿二日 秀吉(花押)
丹羽五郎左衛門尉
長秀
中川八郎右衛門尉
重政
明智十兵衛尉
光秀
大住庄三ヶ村
名主御百性中
(書き下し文)
曇花院殿樣御領大住庄三ヶ村、同じく南東跡職などの儀、このたび一色式部少輔殿御違乱について、双方てい御糺明のところ、(闕字)御寺様よりおことわりの段紛れなく候あいだ、御朱印これを進らせ候、一円に仰せ付けらるべきのよし候うえは、入り組み・買得方、そのほか南東家来などにいたるまで、御寺様お計らいたるべく候、守護不入の地として御直務の条、御年貢・所当疎略なく進納申すべきこと簡要に候、無沙汰においては、御成敗たるべきものなり、謹言、
(大意)
曇花院殿樣の御領地である大住庄三ヶ村および南東の土地相続のことについて、このたび一色藤長が不満を主張してきたので、双方の言い分を詮議したところ、曇花院様のご主張が正当であることが明らかとなったので信長様より朱印状を差し出しました。一円支配を認めたうえは、所領が入り組んでいるところや買得によって得た土地、そのほか南東の家来の知行地にいたるまで曇花院様の御支配とすべきである。守護不入の地として、直接支配のこと、年貢やその他所当など遅滞なく納めることが肝要です。もし怠る者がいれば、きびしく対処する。
Fig. 大住庄周辺図
全体的に丁寧な表現が見られる。なかでも「御寺様」を闕字にしている点はそれを象徴するものといえる。ただ、なぜか秀吉以外の花押が据えられていない。
一色藤長が将軍足利義昭と武田信玄によしみを通じようとした、その直前の出来事だが、具体的には信長の朱印状によれば「一色式部少輔相搆付而」(一色式部少輔あいかまうるについて)とあるように、曇華院領に侵入したようであり、それをここでは「今度一色式部少輔殿御違乱」と表現している。
それに対し信長の裁定により曇花院の主張が正当であり、名主百姓たちにも正当な領主へ年貢・所当を納めるよう命じている。
荘園領主レベルの土地争いは、年貢所当を務める荘園の住民の生活に直結する。したがって重複して負担せぬようにするのが、戦国期の上級領主の義務でもあった。
*1:曇華院:ドンゲイン、嵯峨にある臨済系単立の尼寺
*2:聖秀女王、後奈良天皇の第7皇女、義輝の猶子となり、曇華院に入る
*3:山城国綴喜郡
*4:南大隅守の知行の相続
*5:一色藤長、将軍義輝、義昭のもとで幕府御供衆となる
*6:テイ、様子・状況
*7:曇花院
*8:オコトワリ、物事の筋道。ここでは一色藤長より曇花院の主張に理があるという意
*9:永禄13年3月22日曇花院雑掌宛織田信長朱印状、奥野高広『織田信長文書の研究』215号文書、上巻356頁
*10:上掲奥野著書上巻357~8頁では「被仰付候者」で「仰せつけらるべくそうろう、てへれば」と読んでいる
*11:所領が飛び飛びになっていること、また係争地になっていること。「入組」には紛争の意もある
*12:大切であること、現在の「肝要」に同じ