元禄から享保頃にかけて活躍した儒学者がこのように述べている。荻生徂徠の「政談」だ。どこかで聞いたことのある話だが、江戸の人口増加、範囲の拡大は幕藩体制を揺るがすものであり、早期に対策を講じる必要があるとの指摘は、ある意味新鮮に聞こえる。早速読んでみよう*1。
出替り奉公人のしまりの事
当時*2出替り奉公人*3欠け落ち・取り逃げ*4多くして、人々難渋仕り候。これ以前は給金ならびに取り逃げの品々、引き負い*5の金高までを請人*6に掛かり、その請人また欠け落ちすれば請人の地主*7へかかる事ゆえ人召仕う*8もののためにはよけれども、付け送り*9などと申すようなる悪事はやりて、町の家持*10難儀したり。当時は請人の身代切り*11という事になる故、請人奉公人と申し合せ、同時に欠け落ちし、請人の家内の物をばかねて外へ運び出し、跡には鍋一つ名号*12一幅残し置きたると申すようなる事也。
(中略)
元来出替り奉公人という事は、そのはじめ田舎より起りたる事也。田舎にて請に立つ*13者は百姓にて、何村誰支配*14の者という事慥なる事也。百姓なれば田地屋敷持て居る故、田地を棄てて欠け走るものに非ず。親類もその処に充満して、先祖より代々その処に居住する故、慥なる事也。それゆえ田舎にては御当地*15のようなる事はかつてなきなり。その法*16を持来り御城下*17にてとり行う故、行き届かざる事也。御城下の町人は、町々に人別帳あれども、店を逐い立て、また自分よりも店替えする事自由*18也。元来他国よりのあつまりものにて、親類も御当地になく、根本来歴を誰も知らぬもの也。さて奉公人は皆田舎より新たに出たるものにて、請人とは元来よりの知人にてもなきに請に立つ事也。それゆえ人主*19を立つれども、人主また住処を定めず。
引用した部分では「奉公人」という身元の不確かな者が増えてきて、金品を奪っていくことが目立つようになった、と述べている。原因は、保証人である「請人」もその当人を知っているわけでなく、それでさらなる保証人として「人主」を立てるが、彼らも居所が定まっていないからであるとしている。
保証人が「請人」だけでは十分でないので、新たに「人主」を加えたが、それでも身元不確かな者たちが村方から流れてくる様子がうかがえる。
昨今の「大江戸」ブームは人口増加を好ましいものと喧伝するが、同時代の儒学者には治安の悪化を招く忌むべきことと映ったことも知っておいて損はなかろう。