一、小田原御ぢん*1の年より以後*2、ざい/\*3の百性地下を出、ほうこう人*4・町人・しよく人*5に成申やから候ハゝ、あり*6所をきゝ*7、すなわち代官ニ申候て、我等へ可申上候、御はつと*8の事候間、とり返し可申候、但、家中ニ候ハ、くるしからす*9候、よ*10の家中ニハをき*11申ましき*12事、
(書き下し文)
ひとつ、小田原御陣の年より以後、在々の百性地下を出、奉公人・町人・職人になり申す族そうらわば、在り所を聞き、すなわち代官に申し候て、我等へ上げ申すべく候、御法度のこと候あいだ、取り返し申すべく候、ただし、家中にそうらわば、苦しからず候、余の家中には置き申まじきこと、
(大意)
ひとつ、小田原の陣以降、村々の百姓が村を出て、奉公人・町人・職人になった連中がいたならば、居所を聞き出し、すぐに代官へ注進し、三成に報告が上がるようしなさい。刀狩令で禁じられていることなので、必ずその身を取り戻しなさい。ただし、三成の家中になっている場合は問題ない。他家の家中として雇うことは禁ずる。
奉公人、町人、職人になるために欠落した百姓を帰村させなさい、という規定である。その場合、下線部のとおり村の自力で勝手に帰村させるのではなく、代官に報告せよとする。これは加藤清正の掟書と同じである。
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ただ、三成家中の奉公人になっている場合は問題ないが、他家の奉公人になることは禁ずる、とする。村として守らせなさいということであろう。