関ヶ原の合戦から5年後の慶長10年、以下のような条目が発せられた。差出人、充所ともに記載されていないが、当時江戸城に出入りする者たちの風俗がうかがえておもしろい。
条々
①一、於殿中*1、形儀*2以下、慮外*3之体於有之者、見合*4次第其人*5江相断*6、可致言上*7事、
②一、於殿中、一所に寄合、高雑談*8有之者申断、可致言上事、
③一、御前*9近所におゐて、高声、是又其人に堅可申断事、
④一、御給仕、并御取次之当番之人、御陰*10之御奉公*11令油断付而者、可致言上事、
附当番之者、長袴*12を為持可相詰事、
⑤一、囲碁、象戯*13、しなひ打*14、扇子きり*15、すまひ*16以下於有之、可致言上事、
⑥一、御内書*17相調*18、惣而書物所*19へ寄へからす、并御用*20之儀にあらすして、硯をかすへからす、若濫の族有之は、堅可申断、自然令用捨者、祐筆*21
も可為曲事、
⑦一、祇候*22之人、御座敷其外、ちり*23なと仕儀、堅可申断*24事、
⑧一、掃除以下、堅可申付事、
附小便所之外、小便すへからさる事、
右條々堅申渡、若於無承引者、急度可致言上、自然令用捨、以来*25漏聞候におゐては、権阿弥*26曲事たるへき者也、
慶長十年八月十日*27『大日本史料』第12編の3 410~411頁
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/1203/0410?m=all&s=0410
(書き下し文)
条々
一、殿中において、形儀以下、慮外のていこれあるにおいては、見合い次第その人へあい断わり、言上いたすべきこと、
一、殿中において、一所に寄り合い、高雑談これある者申し断わり、言上いたすべきこと、
一、御前近所において、高声、これまたその人に堅く申し断わるべきこと、
一、御給仕、ならびに御取次の当番の人、御陰の御奉公油断せしむるについては、言上いたすべきこと、
附けたり、当番の者、長袴を持たせあい詰むべきこと、
一、囲碁、象戯、しなひ打ち、扇子きり、すまい以下これあるにおいて、言上いたすべきこと、
一、御内書あい調え、そうじて書物所へ寄るべからず、ならびに御用の儀にあらずして、硯を貸すべからず、もし濫りの族これあらば、堅く申し断わるべし、自然用捨せしめば、祐筆も曲事たるべし、
一、祇候の人、御座敷そのほか、塵など仕る儀、堅く申し断わるべきこと、
一、掃除以下、堅く申し付くべきこと、
附けたり、小便所のほか、小便すべからざること、
右條々堅く申し渡し、もし承引なきにおいては、急度言上致すべし、自然用捨せしめ、以来漏れ聞こえ候においては、権阿弥曲事たるべきものなり、
①は江戸城にて無礼な振る舞いをする者がいたらその者へ告げた上で報告しなさいというもの。
②は大勢で集まって大声で騒いだ者たちについて報告すべきことの意。
③は将軍などに聞こえるような場所で大声を出すなという条文。
④の付けたりは「当番」中は礼服を用いるようにとわざわざ注意せねばならないほど、服装の乱れが見られたこと。「服の乱れは心の乱れ」というが、500年前にはそう言われていたわけである。
⑤は囲碁将棋、チャンバラや相撲の禁止。
⑥は公私混同の禁止。
⑦は散らかすなという意。
⑧の「付けたり」にいたっては信じがたい文言が書かれている。
当時の武家、それも江戸城に登城する大名クラスたちの「品格」がうかがわれる。
それにしてもひどい。
*2:ギョウギまたはカタギ、立ち居振る舞いの規則、身のこなし方
*3:無礼な、無作法な
*4:見つける
*5:慮外の振る舞いをしている者、当人
*6:相手の了解を得る、予告する
*7:上位の者へ報告する
*8:タカゾウタン、大声で無駄話をすること
*9:オマエまたはゴゼン、高貴な人
*10:主君、主人の御恩、具体的には召し抱えられていること
*11:主君、主人へ仕えること
*13:将棋
*14:竹刀で打ち合うこと
*15:扇子を刀で切ること
*17:書状形式の将軍の直状
*18:御内書を持ったまま
*19:カキモノジョ、公文書を扱う役所
*20:公用
*21:右筆、現在の書記官
*22:伺候、貴人のそばに仕える、貴人へあいさつにうかがう
*23:塵
*24:拒絶すること、お断り
*25:用捨してから以後に
*27:発給人、受給人とも記載なし